湯冷めで風邪をひいた佐野鼎

 ところが、佐野鼎はどうやらこの日の入浴で湯冷めをしてしまったようで、3月12日の日記の最後にはこう綴られていました。

<このとき雨中にて、僕余程寒さを覚えし後、風邪の気味にて難儀せり>

 気温15~16度で雨が降る中、しかも屋外での入浴です。かなり寒かったのでしょう。

 この風邪は5日間ほど続いたようで、3月16日の日記には、

<●三月十六日 乍陰乍雨。暖度五十四度。

諸人皆市中を遊行す。僕風邪の為に出ず。夜に入り邪気去るように覚ゆ>

 と書かれています。

 本当は佐野も仲間と共にサンフランシスコの街中を歩き回りたかったことでしょう。後ろ髪をひかれながらも、大事を取ってホテルにこもっていた様子が窺えます。

 病気が悪化してしまうと、ここから離脱させられる恐れもあったのかもしれません。

 実際に、賄い方としてポーハタン号に乗っていた半次郎という者は、サンフランシスコの夜の繁華街でイギリス人と喧嘩騒ぎを起こしただけでなく、性病(梅毒)に罹患していることが発覚。サンフランシスコで77名の使節団から一人離脱し、咸臨丸に乗り換えて日本に帰されています。

 3月18日、ポーハタン号がサンフランシスコを出港する日の佐野の日記には、そのことが以下のように記されていました。

<先だって暴風の時分に餅を焼きたる賄い方のもの一人、サントイス嶋に着せし頃より、瘡毒(*梅毒)にて難儀し、御医師及びアメリカの医師の療治も受けしかど、はかばかしく平癒せず。病者を連れ行くも不便ゆえ、咸臨丸に付託し帰すことと定め、今日彼方へ送り使わす>

 そして、この日の日記はこう締めくくられていました。

<夕七時半頃当港を出帆す。咸臨丸乗り組みの者これより分かれ、かつ途中より帰ることを甚だ遺憾とす。

当地の逗留は八日なり。僕風邪に甚だ難儀し、服薬す>

 咸臨丸の一行も、ポーハタン号の使節団と旅を共にし、ワシントンやニューヨークの地を踏みたかったことでしょう。

サンフランシスコ市街の図(高野和人著『航米記 肥後藩士 木村鉄太の世界一周記』より)

 咸臨丸が沸かしてくれた即席野外風呂に感銘を受けながらも、風邪を引いてしまった佐野鼎は、残念ながらサンフランシスコではあまり出歩くことができませんでした。しかし、薬を処方されて再びポーハタン号に乗り込み、次の寄港地である灼熱のパナマを目指したのです。

 生まれて初めて足を踏み入れた中米で、35度を超える高温を体験することになる佐野鼎たち。吹き出す汗をぬぐいながら、きっとサンフランシスコで咸臨丸が立ててくれた『即席野外風呂』を懐かしく思い返したことでしょう。