(柳原三佳・ノンフィクション作家)
9月7日、東京都大田区に『勝海舟記念館』がオープンされます。これまで勝海舟に関係する史料などが保管されてきた「旧清明文庫」(登録有形文化財)という建物を改修し、幕末から明治にかけて活躍した勝の生涯が、数々の遺品や書物、映像等で紹介されるそうです。
勝海舟は1823(文政6)年、江戸に生まれた幕臣です。
1899(明治32)年に77歳で亡くなっていますが、咸臨丸での渡米や江戸城無血開城、また山岡鉄舟、高橋泥舟と共に「幕末の三舟」と呼ばれるなど、さまざまな場面で活躍しており、その名は現代にも轟いています。
この原稿を執筆している現時点では、まだ公開前なので中は見ていないのですが、拝観する日を今から楽しみにしているところです。
佐野鼎の『訪米日記』に登場する“勝麟太郎”の名
さて、そんな勝海舟と「開成をつくった男、佐野鼎(さのかなえ)」の間には、意外な接点があったことをご存知でしょうか。
実は、明治維新の8年前に当たる1860年3月10日(旧暦)、佐野鼎がアメリカのサンフランシスコで書き記した『訪米日記』の中に、「勝麟太郎(海舟)」の名前が登場するのです。