このとき、使節らが至福のひと時を過ごした湯舟は、かまど付きの据え風呂だったようです。

 佐野鼎は日記に『ハワイでの入湯』と書いていますが、実のところ、使節団が宿泊したホノルルの「フレンチホテル」という宿には水のシャワーしかなく、日本のように湯船で熱い湯につかるということは叶いませんでした。

 それだけに、日本を発って3カ月ぶりに湯船に肩まで湯に浸かることができたときの気持ちよさは、いかばかりだったでしょう。

 ところが、咸臨丸がこの風呂を最初にサンフランシスコで使ったときには、ちょっとしたトラブルがあったようです。

ホテルの中庭で裸体を披露してとがめられ・・・

 その思わぬ出来事については、『万延元年の遣米使節団』(宮永孝著・講談社学術文庫)に次のように記されています。

<咸臨丸がサンフランシスコに到着したとき、木村摂津守はホテルの庭に日本式の風呂を用意させ、水夫らにも入浴させていたのだが、日本人の裸体は隣家の夫人のとがめる所となり、風呂桶の周りに“帆木綿”を幕張りするようになったものらしい。白人は肌をあらわに出すことを忌み嫌ったからである>

 まさに、日本とアメリカの「入浴文化」の違いが、到着早々、露呈されてしまったわけです。

 アメリカのご婦人にしてみれば、隣の庭の真ん中で、初めて目にするちょんまげ姿の東洋の男たちがいきなりフンドシを脱ぎ捨て、素っ裸になってワイワイやっているのですから、それは驚いたに違いありません。

使節団が宿泊したサンフランシスコのホテル(小田基著『玉蟲左太夫「航米日録」を読む』より)

 苦情が寄せられた後は、裸体が外から見えないよう風呂桶の周りを帆布の幕で覆ったようです。

 ですから、おそらく佐野鼎たちポーハタン号の一行は、きちんと目隠しされた環境の中で、苦情を受けることなく入浴できたと思われます。