黒船でやってきたペリー提督はじめ、日本に滞在した外国人は、その光景を見て大変驚いたようです。

『ペルリ提督日本遠征記』挿絵「下田の公衆浴場」(W.ハイネ・画)

 では逆に、幕末、日本人使節として初めて正式にアメリカへ渡った万延元年遣米使節一行の「お風呂事情」は、どうだったのでしょうか?

サンフランシスコで咸臨丸が風呂を沸かして歓迎

 実は、「開成をつくった男、佐野鼎(さのかなえ)」が書き残した『訪米日記』には、アメリカでの初入浴に関する興味深い記述が残されています。

 米軍艦「ポーハタン号」に乗って江戸を発ち、約3カ月後、ハワイのホノルル経由で、ようやくサンフランシスコに寄港したときの記録です。
早速、一部抜粋してご紹介しましょう。

<●三月十二日 朝陰、午後雨。暖度六十度(*摂氏15.6度)

この日午後、咸臨丸にて風呂を立てる故に、ポーハタン船より数輩行きて浴湯せり。これまたサントイス島(*ハワイのサンドイッチ諸島の意味)より以降の入湯なり>

 まず最初に、「咸臨丸にて風呂を立てる」という記述が出てきます。

 咸臨丸がこのとき、一足先にサンフランシスコに寄港していたことについては、すでに連載19回目『「勝海舟記念館」開館! 日記に残る佐野と勝の接点』(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57551)でも書いた通りです。

 木村摂津守、勝海舟らが率いる咸臨丸は、日米修好通商条約の批准書を交わすために幕府が差し向けた使節団の“護衛船”として、ポーハタン号よりも8日早く日本を出発していました。

 咸臨丸は日本を出てから間もなく太平洋上で大しけに見舞われ、沈没寸前まで激しく波にもまれたのですが、なんとかサンフランシスコにたどり着き、船を修理しながらポーハタン号の到着を今か今かと待っていたのです。

木村鉄太が描いたサンフランシスコの港(高野和人著『航米記 肥後藩士 木村鉄太の世界一周記』より)

 それにしても、命からがら先に到着していた咸臨丸の一行が、ポーハタン号の使節団を熱いお風呂で歓迎するなんて、なんだかほのぼのしますね。