戦後も同様です。日本はアメリカとガチンコの戦争をし、徹底的に叩き潰されました。はっきり言って「終わった国」だったはずです。しかしその状況から、日本人は、欧米型の民主主義、資本主義に対応していきました。自動車も家電も、日本人が発明したものはありませんでしたが、欧米企業にキャッチアップし、ついには抜き去るようにして、経済大国へとのし上がっていきました。1979年には『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という本もアメリカで出ました。
つまり歴史を振り返ってみると、新しい時代、新しいゲームについていくことは、本来、日本人はどこの国の人たちよりも得意なはずなのです。
ところが、平成の時代に起きた世界の構造変化には、さっぱりついて行けなかったのです。その原因は、一つしか考えられません。それは「人的資源の劣化」です。もう少し突き詰めて言うならば、平成に起こった日本の凋落は、「教育の敗戦」の結果だったと言えるでしょう。
高度成長期から平成の最後まで、日本人の教育は、「受験していい学校に入り、いい会社に入り、そこで頑張って出世する」というゲームをするための教育でした。学校教育の仕組みというレベルを越えて、社会全体でそういうゲームを作ってしまったわけです。その結果、イノベーティブな人が多数出てきたり、活躍したりしにくい社会になりました。
エリート中心主義の末路
これは実は、中国のかつての凋落の歴史に近いと思います。例えば、17~18世紀にかけての中国の清朝は世界に冠たる帝国で、世界中のどの国と争っても負けるはずがないスーパー大国でした。しかも科挙という試験によって、あの広大な中国大陸の中から、とびっきりの秀才だけをかき集めて国家運営をしていたのです。世界最強の国が、最高の人材を集めて国家運営しているのだから、負けるはずがありません。
ところが19世紀になるとその勢いが衰え、西欧諸国に事実上植民地化され、敗れていくことになります。私はこれは、科挙という超難関試験を突破することだけを考えて勉強するようになったエリート中心主義に失敗の原因があったと思うのです。
既存の枠組みの中で、試験を突破していいところに入り、そこで同じような教育を受けていた仲間との競争に勝って出世して――という志向の人材を集めてしまうと、大きな変革の時代には対応できません。全体として大きく躓いてしまうのです。なぜなら、こういう教育の中からは、全体の枠組みを考えたり作ったり、新しいチャレンジをする人材は生まれてきにくいからです。
かつて日本人は学ぶことを「学問をする」と言っていました。学問とは、問いを学ぶ、ということです。そこには、「自分で問題を見つけ出し、その答えを自分で考える」というニュアンスが含まれています。
しかし昭和の後半から平成の時代の学びは、「学問」ではなく「勉強」でした。これは、自分で問いを立てたりすることはなく、与えられた問題に対する正解を覚える・選ぶという行為です。あらかじめ決まった正解を、どれだけ多く覚えられるかを競うのが「勉強」でした。こういった「勉強」中心の教育になってしまったことが、日本凋落の原因だと私は感じています。
たとえ答えが見つからなくとも、自分で問いを立て、自分で考える。自立的にものごとを考え、自ら行動を起こせるような人材を育てる教育こそが、本当は必要だったのです。
ちなみに、猛烈な経済成長を実現している現代の中国の教育ですが、実はこれも「勉強」型の教育スタイルです。一人っ子政策が続いてきたお陰で、中国の家庭では一人の子どもの教育に多額の資金を投じます。そのため語学のような基礎学力などではものすごくレベルの高い人材が非常にたくさん生まれています。
ただし、それでも激しい受験競争を勝ち抜くことが“ゲーム”の本質になっていて、例えるなら日本の受験競争システムをもっと激しく大規模にしたようなものです。そのため若者たちは、ゼロベースから自分で思考していくという面では、ちょっと弱いような印象です。今はイノベーティブな野心家がたくさんいますし、人材の層が厚いこともあり、しばらくは中国の成長は続くと思いますが、このままの教育システムが続けば、長い目で見れば日本のように時代の変化に取り残されてしまう可能性があるのではないかというのが私の予想です。