それはさておき、日本の教育システムが時代の流れに食らいついていけないようなものであるならば、元号が変わる今こそ、変革していく絶好の機会です。

消滅した「人物教育」の機会

 では、どう再建するべきか。

 私が考えるポイントは2つです。1つは、自由な教育の推進です。

 現在の教育は、私立大学であっても文科省の規制の中で行われています。教育内容や単位数、教員となるための論文の数など、あれこれ細かく縛られているのが実態なのです。

 しかし、教育はもっと自由度があってしかるべきでしょう。幕末は、各地の藩校や私塾が、それぞれの哲学に基づいた教育を施し、そこから国を引っ張る人物が育っていったのです。教育に多様性が多くの有為な人物を生みました。学校にもっと独自性を発揮させ、自立的に考え、行動できる人物を育てるべきです。

 もう1つのポイントは、人物教育の推奨です。というのも、なぜ幕末や戦後の混乱期に個性的なリーダーが生まれたのかを考えると、それは家庭教育と地域教育がしっかりしていたからではないか、と思うのです。

 日本に学制が発布されたのは明治5年(1872年)です。それまで義務教育はありません。寺子屋などで読み書き算盤を習わせる習慣はありましたが、それ以上に地域や家庭での「社会教育」が機能していたのではないかと思うのです。その中心が人物教育です。

 つまり、自分の父母、祖父祖母や先祖の立身出世話や失敗談といったファミリーヒストリー。あるいは地域のために尽力した地元の偉人にまつわる伝承。こうした身近な人たちの生きざま、人生観といったものは、対象が非常にリアルであるがために、感情移入しながら心に刻み付けることが出来ます。それは、一人の人間が成長していく過程で、極めて大きな影響を与えるものです。

 自身のことを振り返ってみると、両親は典型的なニュータウン族で、都心からちょっと離れたベッドタウンで私は育ちました。そのため先祖のことをあれこれ教えてくれる親戚も身近におらず、周りも同じような家庭ばかりですから地域の偉人にまつわる伝承を聞くこともありませんでした。結局、「人間」とか「生きざま」について学ぶ機会があまりありませんでした。

 昭和の初期のころまでは、誰もが当たり前のようにそういう機会に接していたはずです。その機会が急激に消失していったことで、日本人の人間性の厚みが縮小していったように思われるのです。

 ポスト「平成」の時代は、AIが発達する時代です。その時代には、単なる知識やノウハウを持った人間ではなく、人の生き方、社会の在り方を自分自身で考えていけるような人材の存在が重要になるはずです。今の教育システムでは不十分です。私自身は、8年前に青山社中リーダー塾を立ち上げ、自ら塾頭として教鞭を取っていますが、そうとう思い切った教育改革を社会全体で考えていかなければならないと痛切に感じています。

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