データを見てみましょう。平成6年、世界のGDPに占める日本のGDPの割合は17.6%でした。同じ年にアメリカは24.8%です。つまり日米両国で世界のGDPの4割以上を叩き出していたのです。これが平成29年になると、日本の割合は6.1%。存在感はほぼ3分の1になってしまいます。
またスイスのビジネススクール「国際経営開発研究所(IMD)」が毎年発表している、国際競争力ランキングで、日本は平成元年から4年まで1位でした。それが2018年には25位。この数年は20位代後半をさまよっています。
世界の時価総額ランキングも、世界のトップ50社を見ると、平成元年には日本企業が32社も占めていたのに、平成30年ではトヨタ1社が35位にランクインしているのみ。なんともお寒い状況です。
国際経済の舞台で、日本は凋落の一途を辿っていった。それが平成という時代でした。
冷戦体制とは、イデオロギー的に言えば、共産主義や社会主義と、資本主義との対立構造です。これが終焉したということは、やや乱暴に言えば、「共産主義や社会主義の考え方は誤りで、資本主義が正しかった」と世界中が認識したのです。フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』の原論文が出たのも、平成元年でした。
もちろん、共産党一党支配のもと、社会主義共和国体制で急成長を果たした中国の一部の人々は違う意見を持っているかも知れませんが、世界全体で見れば、「最終的には資本主義が勝利した」という認識が非常に強くありました。平成当初、日本人は「資本主義が正しかった。その先頭ランナーの一人であるわれわれは、これからも世界経済の中心になっていくだろう」と考えていたと思います。
冷戦が終わり、共産主義や社会主義という対立するイデオロギーの存在感が非常に小さくなると、今度は資本主義の原初的な特徴が非常に強く出てくるようになりました。どういうことかと言えば、「カネがカネを生む」という資本投下の仕方を、より効率的に行おうとする動きが出てきたのです。
具体的に言えば、日本が得意としてきた製造業中心の資本主義から、もっと資本効率の良い金融業やIT産業が経済のメインストリームになっていったのです。この過程で、アメリカはウォールストリートの金融業や、シリコンバレーのIT企業、特にGAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)と呼ばれるIT界の巨人が経済成長を支えてきました。中国も、巨大な国内市場を強みにして、IT企業や金融機関が成長し、経済をけん引しています。
この変化に日本はついていけませんでした。それが日本凋落の原因なのです。
「教育敗戦」が招いた「人的資源の劣化」
では、日本はなぜこの変化についていけなかったのでしょう? もともと日本人は、時代の大きな変化に柔軟に対応していくことが得意な人たちでした。
典型は明治維新です。それまでの徳川幕府の時代からすれば、明治維新は社会構造を根本的にひっくり返すような改革です。各地に君臨した殿様の権限を全部取り上げて廃藩置県を行ったり、米で納めさせていた税金をお金で納めさせるようにしたり、国民全員に初等教育を受けさせる義務教育を導入したり・・・。
どれをとっても「消費税率を8%から10%に」などというレベルの改革ではありません。明治維新というのは、本当に無茶苦茶な改革でした。近代西洋とぶつかり合って、「あ、そういう時代なんだ、このままじゃ生き残れないんだ」と、鍵となる日本人たちが認識したからこそ、過去をかなぐり捨てて、時代の変化に食らいついていったのだと思います。