その後、仕事を転々とし不遇の日々を送るが、22歳のときにようやく転機が訪れる。マンションの販売会社への就職したのだ。ここで小嶋は営業のセンスを開花させた。

20歳代で部下50人

「先物取引の営業に比べたら、マンションを売るのは楽でしたね。だってパンフレットを見て、『欲しい』と思ってやってくるお客さんが相手でしょう。住宅ローンの上手な借り方や借家より持ち家のほうがどれだけ得なのかを説明すれば、お客さんは納得して買ってくれる。その頃は、マンションを売るのはまな板の上に置いた大根を切るくらい簡単だ、と思っていました」

 数年後には、50人ほどの部下を抱えていた。朝礼では、後方の部下にも顔が見えるよう、ビールケースの上に立ってしゃべらなければならなかったという。

 しかし、突出した営業成績をマークする小嶋を快く思わない上司や同僚もいた。そこで、別の不動産会社に転職するも、やはり同様の結果となった。

100平米超のマンションで急成長

 小嶋は独立を決意する。自宅マンションを売却するなどして資金を作り、不動産販売会社を自ら興した。決して順風満帆ではなかったが、少しずつ業容を拡大し、マンション開発にも手を広げていく。

 経営危機もあったがしぶとく生き延び、ついに金鉱を掘り当てる。首都圏で100平米ほどのマンションを手掛けると、これが当たった。小嶋の会社は次第に新興マンションデベロッパーとして頭角を現し、何度かの社名変更を経て「ヒューザー」となっていた。

 広いマンションでも価格を抑えるために、小嶋はさまざまな工夫を凝らした。土地は、都心の一等地や駅近にはこだわらなかった。さらに敷地内に作る駐車場の所有権は、マンション所有者で構成される管理組合ではなく、ヒューザーが持った。そうすることで、ヒューザーには毎月駐車場の賃料が入るので、その分マンション価格は安くできる。もちろん豪華な共用施設は省き、低価格化に努めた。

 価格を抑える工夫は他にもあった。

「50平米の部屋が100戸のマンションと、100平米で50戸のマンションだったら、後者の方が安く作れるんですよ。もし全戸分の駐車場を作ろうとするなら、50平米100戸だったら100台分が必要になるわけですけど、100平米50戸だったら半分で済むじゃないですか。駐輪場だってそう。

 それにマンションの設備でお金がかかるのはキッチンやトイレ、浴室などの水回りなんです。50平米の部屋であっても、100戸あれば水回りも100戸分必要になる。でも100平米の部屋を50戸なら、水回りの設備も工事も50戸分。だから戸数を減らして広い部屋を造ればかなり安く作れるはずなんです。

 それなのに、大手のゼネコンは、100平米でも50平米でも同じ坪単価で見積もりを出してくる。そんなのおかしいんですよ。僕のこの考えを最初に理解してくれたのが、熊本にあった木村建設の木村盛好社長でした」