もう1つは米国の労働市場が柔軟だという点だ。日本でも転職は一般的になっているが、米国の場合、40代や50代になっても会社を変わるし、業界さえも変わる。

 しかも履歴書には写真を貼らないどころか、生年月日や性別さえも明かさない。

 というより採用時の年齢・性別の差別をなくすため、履歴書にはそうした項目を記さないことが何十年も前からの慣例だ。しかも定年がないので80歳を過ぎても仕事をしていられる。

簡単に訴訟は起こせない日本の社会

 高プロはまさに米国の労働環境の中で生まれ育ったシステムだが、日本で高プロが同じように機能するかは大きな疑問である。

 日本では契約があったとしても名目的な記述のままで、実際の労働条件との間に大きな乖離が生じたりする。社員がそれを取り上げて会社を糾したり、訴訟を起こすこともできるが、日本社会では浮いた存在になりかねない。

 高プロ導入による労働時間枠の撤廃や残業代の廃止などは、社員に負担がのしかかるだけということにもなりかねない。

 日本企業では、いまでも契約書や決め事の記載のないところで多くの職務が進められており、未知数が大き過ぎる。