焼きいも。黄金色の湯気が食欲を誘う。

 秋から冬にかけて、家の玄関から外に出ると仄かに焦げた匂いが鼻に届くことがあった。街をまわる石焼きいも屋の匂いだったのかもしれない。どこか哀しげなあの石焼きいもの歌とともにある昭和の記憶だ。

 石焼きいも屋を見る機会は減った。それでも、スーパーマーケットやコンビニエンスストアのレジ横に居場所を変えつつ、焼きいもは人々を誘いつづける。カロリーは気になるが、「それはそれ、さつまいもはさつまいも」と思って頬張る人は多いだろう。

 今は、おやつとしての印象が強い。だが、かつては人々の命を支えるほどの役割を担っていたこともあったという。時代ごとに、日本人の「さつまいも観」は変化してきたにちがいない。どのような歴史を歩み、そして現在どのような進歩を遂げているのだろう。

 今回は「さつまいも」をテーマに、歴史と科学を前後篇で追っていくことにしたい。

中国から琉球、種子島、そして薩摩へ

 南西から北東へ。これが、日本でのさつまいもの伝播の大きな方向だ。

 1597(慶長2)年、中国の福建省から宮古島に長眞氏旨屋(ちょうしんうじしおく)という人物がさつまいもを伝えたのが日本での事始めとされる。だが、伝来は1618年という指摘もあって定かではない。

 より確からしいのは1605(慶長10)年、琉球国の野國村(今の沖縄県嘉手納町野国)出身の野國總管(のぐにそうかん、生没年不詳)とよばれる人物が、進貢船で中国・福建省との間を往来する際、「蕃薯(はんす)」というさつまいもを持ち込んだという話だ。那覇の地主だった儀間真常(ぎましんじょう、1557-1644)も普及につとめ、わずか15年で琉球全体にさつまいもの栽培が広がったという。