琉球では日常食の9割を占めたさつまいも

さつまいも400年の歴史と現代の科学(前篇)

2016.11.11(Fri)漆原 次郎

 青木昆陽のこうした尽力が関東でのさつまいも普及をもたらしたのは事実だろう。ただし、昆陽の試みより13年も前の1722(享保7)年、幕府の代官だった伊奈忠逵(いなただみち、1690-1756)が武蔵国の数か所でさつまいもを試作させた(失敗に終わった)という記録もある。幕府によるさまざまな栽培の試みの中で、知識豊富な昆陽が大きな貢献を果たしたというのが事実かもしれない。

1日5キログラム、完全なる主食だった

 さつまいもはどのように食べられていたのだろう。

 江戸時代、100以上の料理法が書かれた『豆腐百珍』を筆頭に『蒟蒻百珍』『卵百珍』などの「百珍本」が流行した。さつまいも版の『甘藷(いも)百珍』も珍古楼主人なる著者により1789(天明8)年に出版されている。

 この本には、123種類のさつまいも料理が「奇品」「妙品」「絶品」そして「尋常品」に分類されている。尋常品つまり日常的料理として「むしいも」「いも茶粥」「いも飯」「焼きいも」「いも雑炊」などが並んでいる。

 そして「百余品のなか第一品」と記されているのが「塩蒸しやきいも」だ。土つきのいもを水に浸し、塩をべったり塗って炭火で蒸し焼きにするという。さらに塩釜からかき出した熱い塩にいもを埋めて焼いたものは「風味至ってよし」。さつまいもにも“甘いものに塩”が適用されていたのだろう。

 一方、琉球地方では「んむ煮」とよばれる、いもの皮を剥いてしゃもじでつぶし、味付けせずに食べる料理が伝統的にある(ンムはイモの方言)。また、いもくずを水で溶いて塩やにらを加え、鍋で炒める「んむくじぷっとぅるー」や、煮てつぶしたいもに水溶きしたいもくずを加え、塩で味付けする「んむくじぽーぽー」などの料理もある。

 かつて琉球地方では、さつまいもは完全なる主食だった。1879(明治12)年に農商務省がまとめた調査資料では、琉球藩における日常食のなんと9割以上をさつまいもが占めていたという。1919(大正8)年でも、当地の農家1人のさつまいも摂取量は1日で3〜5キログラムにも上っていた。

沖縄では今も「んむ煮」は砂糖を加えるなどして食されている。紅芋(右)を使うことが多い。

 九州南東部より南の地域には、太平洋戦争のころまでさつまいもを主食とするところがあったという。温暖であれば土地をさほど選ばず栽培できるさつまいもが、人々の食を支えてきた。

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