怪鳥を見事に撃退した源頼政
1151年から1154年までの仁平の頃のことだ。近衛天皇が丑の刻(午前2時)になるといきなり気絶してしまう、という怪事が続いた。
調べてみたところ、ちょうどその時刻に、内裏西北の東三条の森の方から、黒雲が沸き立ち、御殿の上に覆いかかることが明らかになった。
どうしたものかと、公家たちが対策を話し合うと、「武士に警護を任そう」ということになったらしい。白羽の矢を立てられたのが、源頼政である。頼政はその頃、すでに50歳近かったが、内裏の警備の責任者だったため、引き受けることになった。
さっそく頼政は弓矢を持って、武将の猪早太(いのはやた)を引き連れて現場へと急ぐ。南殿の大床で待ち構えていたところ、確かに丑の刻にさしかかると、黒雲が沸き立ってきた。
そのなかに、頼政は怪しいものの影を発見する。もし、射損じてしまったならば、すぐさま命を奪われてしまうだろう。そんな殺気を感じながらも、頼政は冷静だった。精神を統一させて「南無八幡大菩薩」と念じて矢を放ったところ、確かな手ごたえがあった。
「仕留めたぞ!」
頼政が叫ぶと、猪早太が走り寄っていき、怪物が落ちてくるところを取り押さえた。刀を突き刺して、怪物は絶命する。怪物の亡きがらを調べると、頭は猿、胴体は狸、尾は蛇、手足は虎の姿をした怪物だったという。
帝からは頼政に「獅子王」という名剣を与えられた。その剣を取り次いだ左大臣の頼長が「ほととぎす名をも雲井にあぐるかな」と読むと、頼政はこう答えた。
「弓はり月のいるにまかせて」
たまたま矢があたっただけです──。この謙遜の歌がさらなる評判を呼ぶと、「弓矢のみならず、歌道にも優れているのか」とみな感嘆したという。お騒がせな怪物は、くりぬいた丸木舟に入れて流されることとなった。
また、1161年から1163年までの応保の頃には、「鵺(ぬえ)」という怪鳥が夜な夜な鳴いては、二条天皇を悩ませていたという。
あの男を呼ぶしかないと、再び召し出された頼政だったが、今回はあたりが真っ暗で、敵の居場所がわからない。そこで頼政は、まず一の矢を射る。鵺が驚いて羽ばたいた音を頼りに、二の矢を放って、見事に鵺を退治した。
頼政には天皇から衣の褒美が贈られている。のちに伊豆国も与えられると、我が子を国司に任じている。その後、従三位の地位も与えられたという。
さらに丹波と若狭にも所領地を得た頼政。将来は安泰だったはずなのに、つまらぬ謀反に加担して台無しにしてしまったのは情けないことである……以上が、謙信が涙を流すほど心を揺さぶられた『平家物語』の鵺の話だ。