写真提供:Hulton Archive/ゲッティ/共同通信イメージズ

 稀代の企業家にして、社会事業家。新一万円札に肖像が採用された渋沢栄一は、日本近代資本主義の父とも呼ばれる。大正5(1916)年に刊行された講演録『論語と算盤』は、金儲けは卑しいものとされ道徳とは相容れないと考えられていた時代に、論語を基にした道徳とビジネスを調和させることで社会をよりよくできることを示して、社会に大きな影響を与えた。本連載では、『詳解全訳 論語と算盤』(渋沢栄一著、守屋淳訳・注解/筑摩書房)から、内容の一部を抜粋・再編集。今や大谷翔平選手の愛読書としても知られる本書を、分かりやすい現代語訳と詳細な注釈を通じて読み解く。

 第4回は、財産をつくることと、「仁の徳」との両立は可能であることを示すと同時に、商業道徳の核心に迫る。

<連載ラインアップ>
第1回 道徳と富は相反する? 稀代の企業家・渋沢栄一が説く「道徳経済合一」とは
第2回 なぜ道徳の書で「商人の才覚」が学べるのか?渋沢栄一が語る「士魂商才」とは
第3回 自分ではどうにもできない…逆境に立たされた渋沢栄一が考えた「唯一の策」とは?
■第4回 「武士は喰わねど高楊枝」はなぜ誤解なのか?渋沢栄一が諭す「仁の徳」と「財産」を両立させる方法(本稿)


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詳解全訳 論語と算盤』(筑摩書房)

 昔は単純労働から這い上がって、見事に自立して会社を興し、一躍あこがれの地位に上った人も少なくなかった。ではこれらの人々が、社会正義のための道徳を常に守り、正しい道、公の道を進んで、誰にも恥ずかしくない気持ちで今日に至ったのかというと、そんなことは全くなかった。

 また、自分が関わっている会社や銀行などの事業を繁栄させようと、昼夜休むことのない努力をするのは、実業家としてまことに立派なことだ。株主に忠実な者と言ってもよいだろう。

 しかし、もし会社や銀行のために尽くそうという気持ちが、実は自分の利益を図ろうとする利己心でしかなく、しかも株主の配当を多くするのは、自分も株主であるために己の金庫を重くしたいためであるなら、これは問題だ。

 もし会社や銀行を破産させ、株主に被害を与えた方が、実は自分の利益になるという状況に遭遇したなら、彼がその誘惑に勝てるかどうかきわめて怪しくなる。

 孟子という思想家のいう、「人から欲しいものを奪い取らないと、満足できなくなってしまう」という言葉は、これを意味している。

 また、富豪や大商人に仕えて、ひたすら主人のために身を削るような者も、その成し遂げたことを見れば、一所懸命仕える忠実な者と言えるだろう。しかし、その忠義の行いは、実はすべて自分の利益になるか否かの打算から出ているとしよう。

 主人を豊かにするのは、自分を豊かにしたいがためで、「番頭〔ばんとう〕(雇われマネージャー)」や「手代〔てだい〕(一般社員)」と周囲から見下げられるのは面白くないが、実際の収入を考えて、「普通の実業家よりたくさんもらえているから、名を捨てて利益を取ろう」という気持ちだったらどうだろうか。その忠義ぶりも、結局は「利益問題」という四字にとどまり、同じように道徳とは無関係としか言えないのだ。

 ところが世間の人々は、このような人物を成功者として尊敬し、また、憧れのまなざしを向けている。若い人たちも彼を目標として、何とか近づこうとあれこれ考え、その悪い風習はどこまでも続きかねない勢いだ。