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今日の株式会社の原型とされる「英国東インド会社」が設立されて400年あまり。地球レベルでの気候変動や人権問題、続発する紛争など、世界が大きく揺れ動く現代において、株式会社は社会とどう向き合っていくべきなのか。本連載では『会社と株主の世界史 ビジネス判断力を磨く「超・会社法」講義』(中島茂著/日経BP 日本経済新聞出版)から、内容の一部を抜粋・再編集。「株式」を巡る歴史をひもときながら、これからの株式会社の在り方や課題を考える。
今回は、現代にも引き継がれる「所有と経営の分離」を容認した明治44年商法を中心に、日本の会社法が大転換した背景を探る。
会社法の変革――「所有と経営の分離」を公認する代わりに、「委任」が登場
(1)明治32年商法(1899年法)では、所有と経営が一致していた
①「株主であること」が取締役の条件であった
それでは「所有」と「経営」の関係について、日本の会社法はどのような対応をしてきたのか、その変遷をみてみましょう。会社法の変遷の背景には、所有者として経営に参加したい株主と、株主に縛られず自由に腕を振るいたい経営者との相克があります。いつの時代でも、オーナーはマネージャーにとって煙たい存在です。
株式会社に関する最初の法律である明治23年商法は、延期、延期を繰り返し、1898年にやっと1年間だけ施行されたものでした。そこでは、取締役は株主の中から選ぶとして、所有と経営が一致することが求められていました(185条)。そのすぐ後、1899年3月9日公布、同年6月16日に施行された明治32年商法も、所有と経営の分離を認めていません。「取締役は、株主総会において株主の中から選任す」とされていたのです(164条)。
その理由については、「最も会社の立場を理解しそれに応じた経営方法をとれるのは株主にほかならない」「取締役が株主であったならば…責任をもった経営ができる」と説明されています(1911年〈明治44年〉3月17日第17回衆議院特別調査委員会)。この考え方は、東インド会社で出資者の中から理事を選ぶとされていたのと似ています。