参加した野党は反対票を投じられなくなる
というのも、第一に、この会議に参加を選択した野党は、政策議論のプロセスに直接関与した以上、最終的に完成した法案に対する「責任の一翼」を担うことになることは明らかだ。
一度自らが主体的に関与し、議論に加わった法案に対して、事後に国会での採決の場において明確な反対票を投じることは、有権者から見れば矛盾をきたす行為となる。
そのため、この会議体への参加は、事実上、野党側の反対運動や修正要求を事前に封じ込める性質を持っている。
第二に、政府の呼びかけにもかかわらずこの会議体への参加を拒否する政党に対しては、「対案も出さず、議論のテーブルにつくことすら拒否する旧態依然とした抵抗勢力である」というネガティブなレッテルを貼り、世論の批判的な目を誘導できるからだ。
衆院本会議で代表質問する中道改革連合の小川淳也代表。国民会議への参加は見送った=24日午後(写真:共同通信社)
第三に、会議の事務局機能や議題の設定権限など、議論の主導権は会議を主催する政府、官邸側が握っているため、結果として政府のペースに巻き込まれ、利用される可能性が高い。
議席数で圧倒的な優位に立ち、本来であれば正攻法で法案を通す力を持つ与党が、あえてこのような搦め手(からめて)とも言える手法を用いることで、野党陣営を巧みに分断し、自らの政策実現をより確実なものにするという点において、政治的戦術としては妙手と呼ぶにふさわしい凄みがある。
だが、この政府与党にとって都合の良い巧妙な政治戦術が、果たして主権者たる国民の利益、すなわち「国民益」に適うものかと問うてみるなら、そこに合理的な理由を見出すことは困難であろう。
「国民会議」という、いかにも民意を代表しているかのような大層な名称が冠されているが、自由民主主義国家における制度上の国民の代表は、選挙という民主的な手続きによって選出された代議士の集まりであり、彼らが集う国会こそが憲法上定められた国権の最高機関であるからだ。
与党の議員であれ、野党の議員であれ、国会議員は一人ひとりが等しく全国民の代表である。建前は常に建前であるのみならず、せめて機能させようという姿勢を見せなければならない。
もし政府が本当に「広く国民の声を聞きながら、多様な意見を反映させて議論を進める」ことを目的としているのであれば、政策に賛成する都合の良い政党だけを官邸という密室に集めるべきではないはずだ。
すべての政党が参加する権利を持ち、マスメディアを通じて広く国民の監視の目が届く国会の場において、正々堂々と審議を行うのが本来の民主主義の筋である。
この点において、国民民主党などがやや消極的に主張する「会議体を作る前に、まずは政府与党案を堂々と国会に出すべきだ」という意見は、議会制民主主義の基本原則に照らすなら理にかなっている。
ともすれば、政府与党に批判的な野党の行動には「抵抗勢力」というラベルが貼られがちだ。気分はわからなくもないのだが、同時にいまいちど議会政治の原理原則に立ち返って評価する目も持ちたい。