国民会議は「王道」から逸脱している

 日本の国会において成立する法律の大部分は、内閣が自ら法案を作成し提出する「内閣提出法案」、いわゆる「閣法」で占められている。

 そして、閣法が国会に提出され、与野党審議を経て成立(あるいは非成立)に至る以前には、法律によって明文化されたルールでこそないものの歴史的かつ慣習的に日本の政治風土に深く定着してきた「事前審査制」と呼ばれる非常に緻密なプロセスが存在する。

 具体的にこのプロセスを説明すれば、まず行政府の根幹を担う霞が関の各省庁の官僚機構と、国会において多数派を形成する与党(現状で言えば自由民主党が中心となる)が、水面下で綿密な調整を重ねるというものである。

 与党内に設けられた部会や、党の意思決定機関等において、関係団体の意向も踏まえた議論と擦り合わせが行われ、法案の精度と政治的な実現可能性を高めていく。

 この事前審査というフィルターを通すことによって、相当程度、成立の確度の高い、練り込まれた政府与党案が提出される。その上で、完成した法案を、国権の最高機関であり立法府であるところの国会に提出し、与党と野党がそれぞれの立場から十分な審議時間を確保して議論を戦わせ、最終的に本会議での議決によって法律を成立させるというのが、日本の議会制民主主義における伝統である。

 現在のように、与党が衆議院において圧倒的な議席数を保有し、盤石な政治的基盤を築いている状況であるならば、なおのこと十分な審議時間を設け、賛否両論を掲げる政党、国会議員らと議論するのが王道であることは言うまでもあるまい。

 しかしながら、今回の「国民会議」の設置は、この政策形成の王道から逸脱しているというほかない。

 ただし、高市総理の視点に立つなら妙手だ。