資金力の多寡で結果が決まらないようにするはずの公職選挙法だが…
電話や街宣車、知人や友人への声かけといった伝統的選挙と、SNS上のショート動画や有料マーケティングに基づくネット選挙とは、それぞれアプローチできる対象層は大きく異なり、それぞれに独自の政治的認知空間、いわば「二つの世界」を作り出している。
しかし、対面の選挙活動であれ、ネット上のイメージ競合戦であれ、政党や政治家における資金力の多寡が有権者への接触の多寡を規定するのは驚くほど同じである。
伝統的な政治活動において、資金力の差は私設秘書の数や地元活動の質、すなわちきめ細かな「どぶ板活動」に現れる。それはネット上でも同様で、資金力はプロによる動画編集や複数回にわたる有料広告を可能にし、それによって単純接触効果を高めることができる。資金力の多寡が接触の多寡に跳ね返るのは、いずれの活動でも共通なのである。
とりわけ情報通信技術の変化のスピードの激しさに比べれば、公職選挙法は徹頭徹尾、「紙・電話・街宣車」を前提とした法律であり、時代遅れが甚だしい。
たとえば公職選挙法では、資金力の多寡が選挙活動に反映されないように配布できるチラシ数の上限を定めており、衆院選期間中、各陣営は選挙管理委員会から配布される11万枚の証紙を貼ったチラシしか配ることができない。選挙の公示日に候補者の事務所でボランティアが必死に証紙を張る光景を見た人もいるだろう。
しかし、ネット上の動画の再生回数が選挙期間中に1億回を超える現在、証紙というやり方で紙のチラシの数を規制したところで何の意味もない。むしろ、こんな作業にボランティアを調達する労力を取られて、資金や人員に乏しい陣営に不利になるだけであろう。情報通信技術の変化のスピードがあまりに早く、公職選挙法が実質的な選挙の公平さを担保できていない現状がある。
不可避の世代交代、不可逆のネット選挙
中道改革連合が、いわゆる「中道」の理念の下、立憲と公明の連携をなしえたことは、選挙戦術的にいえば合理的であった。何より連合と創価学会という二つの組織票は大きく、ことによれば野党による小選挙区でのドミノ倒しもありうると思われた。
しかし、中道改革連合の失敗は、あらためて政治が単純な「足し算」ではないことを思い知らせた。無党派層からすれば中道は、コテコテの宗教とコテコテの労組が合体したことによるコテコテの既得権と見られたかもしれない。
「団塊の世代」から「現役世代」への人口変動は不可避であり、それに伴うメディアの変化、紙や電話を中心とする選挙からネット上を主戦場とする選挙への変化も不可逆であろう。不可逆のものに抗っても無意味であり、大切なのはそれにいかに適応し、それを軌道修正していくかであろう。
「生き残るためには、変わらなければならない」(小沢一郎)。政党政治の競争の条件が激しく変動していく時代に、この言葉を自ら実践できるものにしか、未来を掴むことはできないだろう。
【参考文献】
「現役世代の支持政党 国民・参政→みらい」日本経済新聞、2026年2月16日
山腰修三「SNS政治への転換 「カオスの仕掛人」の実態、可視化を」朝日新聞、2026年2月18日




