高市早苗首相(写真:ロイター/アフロ)
(大井 赤亥:政治学者)
近年の各国リベラルにみられる「過剰な正義感」
参議院選挙での参政党の躍進はその熱心な支援者と反差別を訴えるカウンター攻撃との衝突を生み、「女性初」の高市総理の誕生をめぐってはその意義をめぐり保守派とリベラル派との議論が続いている。
人種やジェンダーをめぐりマイノリティの尊厳を訴える主張、すなわちアイデンティティ政治は、先進国の政治に激しい対立軸を生みだしている。
近年の欧米では、ハリウッドの性加害に光をあてた#MeToo運動や、黒人に対する警察の暴力を告発したブラック・ライブズ・マター運動などが、たしかに社会の意識を変えてきた。日本でも、在特会に対するカウンター・デモやジャーナリストの伊藤詩織さんによる性被害告発などが行われ、それらを公共的課題として認識させてきた。
アイデンティティ政治が一面において確実な進歩をもたらしてきたことには、いかなる疑いもない。
同時に、昨今、アイデンティティ政治は行き過ぎによる弊害も露呈させるようになった。アメリカでは、元来は差別や不正義への「覚醒」を意味した「ウォーク(woke)」が、2010年代以降、ポリティカル・コレクトネスを強要する「過剰な正義感」「不寛容な道徳的イデオロギー」といったニュアンスを帯びるようになっている。
日本でもアイデンティティ政治は、差別を受ける当事者にとって力強い武器になると同時に、それらをめぐる言論や運動は、SNS特有のエコーチェンバーもあり過激化している。排外主義への批判を突きつめるあまり、社会運動が通常の保守的な意見に対しても罵詈雑言を浴びせたり、リベラルな知識人が右派の教養や学歴の低さをあげつらったり、アイデンティティ政治をめぐる混迷が無視できなくなっている。
総じて、各国の中道リベラル政党は、マイノリティの権利擁護に取り組むと同時に、アイデンティティ政治の行き過ぎが有権者からの乖離を生み出す状況に直面しており、それとの距離感が課題となっている。
日本においても、同様の課題が顕在化している。次のような例が挙げられるだろう。