アートシーンを驚愕させた「YBA」
ジュリアン・オピー《ゲイリー、ポップスター》1998-99年、テート美術館蔵 © Julian Opie
では、アートシーンにおける90年代イギリスのアイコンといえば何か。筆頭に挙げられるのは、やはり「YBA」だろう。YBAの発祥は1988年8月。ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジの2年生だったダミアン・ハーストが、ロンドン東部の倉庫街を舞台に同級生や卒業生の作品を発表するグループ展「Freeze(フリーズ)」を企画。ハーストと同世代の作家計16名は “無名の美大生”であったが、従来のアートにはない新しい素材や制作技法を用いた作品は多くの美術関係者の目にとまった。
1992年、美術史家のマイケル・コリスは彼らを「ヤング・ブリティッシュ・アーティスト」、略して「YBA」と命名。実業家でアートコレクターとしても有名なチャールズ・サーチは自身のギャラリー「サーチ・ギャラリー」でYBAの展覧会を開催。こうしてYBAの名は一般に広く認知されるようになり、世界的に注目を集め始めた。
YBAの顔、ダミアン・ハースト
ダミアン・ハースト《後天的な回避不能》1991年、テート美術館蔵 Photographed by Prudence Cuming Associates © Damien Hirst and Science Ltd. All rights reserved, DACS/Artimage 2026
とはいえ、YBAのアートは世界にすんなりと受け入れられたわけではない。そこには賛辞の声とともに、常に悪評や怒りの声が付いてまわった。悪趣味、暴力的、退廃的、あるいは商業主義的。
まずはYBAの象徴的存在であり、顔ともいえる存在のダミアン・ハーストについて触れたい。ハーストは「何を芸術とみなすのか」を問い続けるアーティスト。生と死をテーマにした作品が多く、《The Physical Impossibility of Death in the Mind of Someone Living(生者の心における死の物理的不可能性)》(1991年)はガラス製の水槽にホルムアルデヒドで保存された全長4mのイタチザメを浮かべたもの。1993年に発表された《Mother and Child, Divided(母と子、分断されて)》では、水槽の中にホルマリン漬けにされた牛と子牛が入れられている。このショッキングな作品に動物愛護団体をはじめ各方面から抗議の声が寄せられたが、1995年には世界有数の現代美術賞として知られるターナー賞を受賞している。
「テート美術館 ― YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート」展には、ハーストの初期の代表作のひとつ《後天的な回避不能》(1991年)が展示されている。彼はガラスケースで密閉されたオフィス空間をつくり、そのオフィスのデスクの上に煙草と吸殻入りの灰皿を並べた。ハーストはこの作品で、現代社会における「避けられない死とは何か」を問うているのだという。