連作《宝石》 紙、リトグラフ 株式会社インテック(富山県美術館寄託)

(ライター、構成作家:川岸 徹)

現在のチェコ共和国に生まれ、19世紀末のパリで活躍したアルフォンス・ミュシャ。女性をデザインした麗しいポスターで知られるが、油彩画家としての活動も精力的に行っていた。版画家と画家、二つの顔をもつ芸術家ミュシャの全貌に迫る展覧会「市制施行70周年記念 アルフォンス・ミュシャ ふたつの世界」が府中市美術館で開幕した。

アール・ヌーヴォーを代表する芸術家

《サラ・ベルナール》 紙、リトグラフ OGATAコレクション

 19世紀末から20世紀初頭のフランス。ベル・エポックと呼ばれる華やぎの時代に「アール・ヌーヴォー」というスタイルが誕生した。フランス語で「新しい芸術」という意味。花や植物などのモチーフを有機的な曲線で表した高い装飾性が特徴だ。

 この時代に頂点を極めたアーティストが、チェコ生まれのアルフォンス・ミュシャ。彼がパリで制作したポスターは、流行に敏感な人々の心を瞬く間に捉えた。ミュシャはアール・ヌーヴォーの代名詞といえる存在となり、その人気は日本にも及んだ。

 1900年に開催されたパリ万博を視察した画家・浅井忠は、ミュシャのポスターやグラフィック資料を携えて日本へ帰国。自分の部屋にはミュシャが制作したたばこの巻紙メーカー「ジョブ」のポスターを飾ったという。浅井のほかにも、藤島武二や中沢弘光ら日本人画家がミュシャから大きな影響を受けた。

 藤島武二は1900年創刊の雑誌『明星』の表紙絵を手がけているが、そこに描かれた女性の顔は、夢見るような表情といい、太い輪郭線で体のパーツを際立たせる手法といい、なんともミュシャっぽい。

 こうして世界を席巻したアール・ヌーヴォーだったが、第一次世界大戦の終戦時にはすっかり下火になってしまった。装飾性を抑えたアール・デコなどのモダンなデザインが主流になり、アール・ヌーヴォーとともにミュシャの名前も忘れられていく。だが、1960年代頃から再びミュシャの芸術に注目が集まる。人々は装飾性を排した前衛芸術やモダンでスタイリッシュなデザインに飽きてしまったのかもしれない。世界はミュシャの作品に普遍的な美しさを見出し始めた。