「かお(花織)がいてよかった」
坂本は最終グループの5番目。プログラムは『愛の讃歌』。静寂の中、曲が始まる。
冒頭はトリプルアクセル。いつものように、雄大なジャンプが決まる。
1つ1つの要素を丁寧につないでいく。
後半に入る。最初のジャンプはトリプルフリップ-トリプルトウループのはずだった。だが2つ目のジャンプが跳べず、単独ジャンプになる。すでにトリプルフリップは跳んでいるため「リピート」となり基礎点は70%に下げられることになる。
それでも動揺を滑りにみせない。残る2つのジャンプはしっかり成功させる。
フィニッシュ。
最後の演技は終わった。坂本は天を仰いだ。
場内に笑顔で挨拶する坂本は、リンクから上がり中野園子コーチに出迎えられると、涙を流した。
前滑走者のアリサ・リュウ(アメリカ)に次ぐ暫定2位。悔しさが表情にあふれた。
最終滑走、中井亜美が終わっても、順位は変わらず、結果は、銀メダル。
試合を終えても悔しさは消えない。
「力を最後まで100%出し切れなかったのが悔しいです」
集大成たる演技が、思い入れのあるプログラムの完成した形を披露できなかったことが悔しかった。
終わってみれば、リュウとの点差はわずか1.89点。「あのジャンプが」という思いが離れない。
「今まで、ここいちばん、っていうところで決めてきたのに、なんでここで出せなかったのかなっていう思いがあります。だいぶ、悔しいです」
悔しさは募る。
でも、悔しさとは別の感情も起こる。
会場には、ペアで金メダルの三浦璃来と木原龍一をはじめ、日本代表の面々が応援に駆け付けていた。彼らの姿が、言葉が、うれしかった。
「やりきれなかったですけど、『かお(花織)がいてよかった』と言ってくれたのは、うれしかったです」
日本代表チームを懸命に盛り立て、惜しみなく力を注いだ。団体戦にとどまらず、自分の個人戦を終えていないのに、会場へ駆けつけて応援する姿が連日見られた。
そんな坂本を、みんなが知っている。だから誰もが坂本を応援していたし、最後まで全力を尽くした姿を称えずにはいられなかった。
最後のオリンピック最後の試合は終わった。
苦さも残る3度目のオリンピックは、これまでもそうだったように、これからの人生でもきっと糧としていかしていくはずだ。
苦さはありつつも、ミラノ・コルティナの氷上、リンクの外で示した姿は、忘れられない記憶として残り、そして明日を目指すスケーターの指標にもきっとなる。
*JBpressでの連載「フィギュアスケートを支える人々」(2024年8月30日公開までの一部)と、書き下ろしを含む電子書籍『日本のフィギュアスケート史 オリンピックを中心に辿る100年』(松原孝臣著/日本ビジネスプレス刊)が発売中です。
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