1960年代生まれの共鳴、高市首相と同世代の陛下が歩んだ「上り坂の昭和」

 そして、思い出されるのが戦後の混乱期と復興期の、1946年から1954年までの間、全国を巡幸された昭和天皇のことだ。戦後巡幸によって、人々の暮らしの現場へ足を運び、多くの国民を自らの言葉で励まされた。

 戦争への反省が社会の底流にある中で、「国民の中に入っていく」という行為は、天皇という戦前の意味を180度転換するものであった。

 いま陛下が、戦没者への慰霊や被災地へのご訪問を通じて「国民に寄り添う」姿勢を、言葉だけでなく行動で積み重ねていることは、象徴天皇制の核心を、時代に合わせて更新し続ける営みとして受け止められるのではないだろうか。そこには、戦後の昭和天皇が示した「前を向くための姿勢」と響き合うものも感じられる。

 こうした姿勢の背景には、陛下が1960年生まれであるという世代性もある。高度成長の入り口で育った「昭和のミドル世代」であり、くしくも政権を担う高市早苗首相も1961年生まれで、ほぼ同世代にあたる。

 この世代が育った昭和には、経済成長の熱と安保をめぐる揺れが同居していた。1956年の経済白書が「もはや『戦後』ではない」と記し、復興から近代化へと社会の重心が移っていく。

 1960年には「国民所得倍増計画」が閣議決定され、「豊かさ」へ向けた国家目標が掲げられた。一方で、日米安保をめぐる対立は政治と社会を激しく揺さぶり、「経済的豊かさ」と「安全保障の現実」が、戦後日本の進路を方向づける大きな要因となった。

 陛下と首相が育ったのは、そうした矛盾を抱えた「上り坂の昭和」であることも、両者の人格形成に少なくない影響を与えたのではないだろうか。

2025年12月24日、高市首相(左)らを招いた昼食会で歓談される天皇陛下(写真:代表撮影/共同通信社)