『太閤記』では秀吉自身が抗弁?ドラマが秀長のストーリーへと転換した妙
ドラマでは、鵜沼城でたらふく飯を食らう秀吉と、その一方で汗をかく秀長の様子が描かれた。
だが、小瀬甫庵の『太閤記』では、秀吉自身が織田信長に、次郎左衛門を寝返らせることに成功したことを報告。「謀略が優れていたからだろう」と秀吉は信長から称賛された。
ところが、後日、秀吉が次郎左衛門とともに、信長に拝謁しようとすると、その前夜に信長に呼び出される。そこで信長は次郎左衛門について「名の知れた剛の者」とし、心変わりをするのではないかと警戒心をあらわにする。あろうことか「殺すほかあるまい」と言い出したのだという。
いったん猜疑心を持った信長は、もはや誰の意見にも耳を貸さない。秀吉もそのことを重々分かっていたに違いないが、意見せずにはいられなかった。
「剛の者だからこそ味方に引き入れたのです。ここで殺せば、今後いくら調略しても織田に降る者はいなくなります」
ドラマで、信長がやはり次郎左衛門を殺そうとしたときに、秀長が「このまま真相を確かめずにこの者を斬ろうとするなら、今後織田の誘いに乗る者もいなくなってしまいます」と必死に抗弁したのは、『太閤記』での秀吉の言葉がベースとなっている。
結局、『太閤記』では、信長を説得することはできず、秀吉は次郎左衛門に「わしを人質にして、急いで逃げよ」と持ちかけた。
次郎左衛門は「心得た」と応じて、秀吉の胸に脇差を当てながら「近づいたら、こいつの命はない!」と叫びながら逃走した……というのが、『太閤記』の物語である。秀吉のおかげで次郎左衛門は難を逃れたという展開で、『太閤記』がいかに“秀吉アゲ”の内容だったのか、改めて実感する。
物語上、このあと次郎左衛門がどうなったのかは分からない。そして史実において、次郎左衛門について分かっているのは、斎藤家に従って信長と戦ったことと、のちに降伏したくらいである。
今回の放送は、フィクションである『太閤記』の要素をうまく取り入れながら、秀吉ではなく、秀長のストーリーに転換していることがうかがえる。