信長の猜疑心を決定づけた弟・信勝による「二度の謀反」と悲劇的な結末

 ドラマでは、実は信長は初めから次郎左衛門を亡き者にしようと考えて、清洲におびき寄せたことが明らかになる。

 なぜ信長はそこまで猜疑心が強くなってしまったのか。今回の放送では、信長と弟・信勝のストーリーが、妹の市によって明かされた。

「これで二度目じゃ。一度は許した。次はない」

 回想シーンで信長がこうつぶやいたように、弟の信勝は二度も兄に謀反を起こしている。一度目は弘治2(1556)年、信長が清洲を手中に収めてから約2年が経った頃である。

「信長を排除して信勝を擁立しよう」と目論んだ柴田勝家が、信長の宿老・林秀貞(ひでさだ)とその弟・美作守(みまさかのかみ)を味方につけて、信長の直轄領である篠木(しのぎ)三郷を奪取。砦を築いて信長を挑発した。

 タイミング的には、隣国の美濃で、斎藤道三が嫡男の斎藤義龍(よしたつ)と対立して、「長良川の戦い」が勃発。道三が敗れて命を落とした頃だ。信長は隣国の斎藤道三の娘・濃姫(のうひめ)を正室として娶り、同盟関係にあった。道三という後ろ盾を失った今こそチャンスだと、勝家は動いたのだろう。

 だが、信長は名越に砦を築いて佐久間信盛を入れると、自ら清洲から打って出る。両者の軍勢が稲生で激突した「稲生の戦い」において、信長は美作守らを討ち取っている。柴田勝家は敗走。信勝サイドの敗北となった。

 信勝が末森城(すえもりじょう)に籠城すると、信長は攻め寄りながらも、信長と信勝の生母である土田御前のとりなしもあり、結局は弟を許している。このときに、勝家や秀貞も赦免されることになった。

 そんな経緯を踏まえれば、再び自分に立ち向かってきた弟の信勝に対して、失望をあらわにしたのも当然のことだろう。「稲生の戦い」で敗れた翌年に、信勝は今度こそ兄を討つべく挙兵の計画を立てていたという。信長は仮病を用いながら病の噂を広めると、お見舞いに来た信勝を家臣たちに成敗させている。

 ドラマでは「信勝もまた見舞いを装って、信長を討とうとしていた」という設定になっている。討たなければ討たれる、実際にもそんな状況に追い込まれて、信長は弟を討ったのかもしれない。

 信長が二度目となる信勝の裏切りを察知できたのは、柴田勝家が事前に知らせたからだ。勝家が信勝を見限って信長側についたことで、クーデターを未然に防ぐことができた。『信長公記』では、次のように書かれている。

〈此忠節仕候に付て、後に越前大国を柴田に被仰付候〉
(このときの忠節によって、のちに勝家は越前という大国を信長から与えられた)

 ドラマの終盤では、勝家が「この勝家、決して殿を裏切りませぬ!」と述べていたが、一度は信勝側についていた過去を踏まえると、「ここからもう裏切ることはない」と強調したかったのだろう。事実、勝家はその言葉を守り、信長に忠義を尽くすことになる。