「武田兄弟」は描かれるか?信繁という“理想のナンバー2”
これまであまり注目されてこなかった豊臣秀長が、秀吉を支えるキーパーソンとして描かれているのが、今回の大河の特徴だ。
そうなってくると、秀長に負けないほど才気走った兄を持ちながら、対立することなく名参謀となった武田信繁(のぶしげ)にも、見せ場が与えられるかもしれない。
信繁は武田信虎(のぶとら)の次男として生まれた。兄の晴信(信玄)より4歳年少にあたる信繁は、父の信虎からずいぶんと可愛がられたようだ。信虎は何かと長男の信玄を疎んじて、信繁のほうに当主の座を譲ろうとしていたという。
だが、信虎は、わが子の信玄によってクーデターを起こされて駿河へと追放され、二度と甲斐に戻ることはなかった。反信虎派の家臣たちに担がれる格好で、信玄は21歳で武田家の当主になっている。
このときにもし信繁が父・信虎の側についていれば、家中で激しい争いが起きても不思議ではなかった。だが、信繁は信玄のほうに味方して、その後も兄を支え続ける道を選んでいる。
信繁が信玄にとって、どれだけよい補佐役だったのか。江戸中期の学者で幕府の儒臣だった室鳩巣(むろ きゅうそう)が『駿台雑話』の中で信繁を絶賛している。
「天文・永禄の間に賢と称すべき武将であった。兄信玄に仕えて人臣の節を失うことなく、その忠信、誠実は人の心に通じ、加えて武威武略に長じ、知剛知柔、まことの武将とは信繁のごとき人物をいう」
武田家臣団で、信繁を最も敬愛したのが真田昌幸だ。昌幸は、後に甲府で生まれた次男に名をつけるに当たって、信繁にあやかってそのまま「信繁」と命名したほどである。
秀長と同様に、優れたナンバー2として名を馳せた信繁。2人とも兄よりも先に命を落とす点も共通している。そして死没後は、秀吉も信玄も迷走してしまう。家中に混乱を招くという点も同じであり、組織におけるナンバー2の存在の大きさを感じずにはいられない。
残念ながら信玄の病死によって、織田信長が武田信玄と直接対決することはなかったが、「豊臣兄弟」に負けない「武田兄弟」の活躍ぶりが、何かしらの形で描かれることに期待したい。
次回の第6話「兄弟の絆」では、鵜沼城主・大沢次郎左衛門に信長暗殺の疑いがかけられたことで、城に残った秀吉の命が危機に瀕することに。翌日までに信長に無実を証明せねばならなくなった秀長。信長の妹・市の助言を受けながら、兄のために奔走する。
【参考文献】
『現代語訳 信長公記』(太田牛一著、中川太古訳、新人物文庫)
『多聞院日記索引』(杉山博編、角川書店)
『史料大成多聞院日記〈全5巻〉』(竹内理三編、臨川書店)
『図説 豊臣秀長 秀吉政権を支えた天下の柱石』(河内将芳著、戎光祥出版)
『豊臣秀長 シリーズ・織豊大名の研究』(柴裕之編、戎光祥出版)
『豊臣秀長のすべて』(新人物往来社編、新人物往来社)
『武田信玄のすべて』(磯貝正義編、新人物往来社)
『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』(真山知幸著、日本能率協会マネジメントセンター)