NHK大河ドラマ『どうする家康』が最終回を迎えて、約1年にわたる放送が終わった。すでに次の大河ドラマ『光る君へ』が描く平安時代へと意識を向けている人もいれば、まだまだ『どうする家康』の世界に浸りたい人もいることだろう。12月29日に放送される総集編に先立ち、『なにかと人間くさい徳川将軍』の著者で、偉人研究家の真山知幸氏に改めて『どうする家康』について振り返ってもらった。(JBpress編集部)
「軟弱な戦国大名」ではなかった今川義元
大河ドラマ『どうする家康』では、意外な人物描写がたびたび話題となった。今川氏第11代当主の今川義元もその一人だ。
義元といえば、永禄3(1560)年5月19日の「桶狭間の戦い」にて、大軍を率いていたにもかかわらず、少数の軍を率いる織田信長に敗れたとして「愚将」のイメージが強い。小説やドラマなどのフィクションにおいても、公家風で軟弱な義元が描かれることが多かった。
「馬にも乗れない武将」。尾張に攻め入ったとき、義元が馬ではなく輿(こし)に乗っていたことから、そんなふうに揶揄されることすらある。
だが、義元は、足利将軍家から「塗輿に乗ってよい」と許可されていたために乗っただけのことで、馬に乗れなかったわけではない。信長との家柄の違いを見せつけるには、むしろ格好の軍事パフォーマンスだといえよう。
実際の義元は、それまでの領国だった駿河と遠江だけではなく、三河まで進出。3カ国を支配し、「海道一の弓取」とも称された。3歳のときから名軍師の太原雪斎から指導を受けていることを考えても、『どうする家康』で描写されたような、高貴な名君としての今川義元のほうが、しっくり来るように思う。
ドラマでは、野村萬斎演じる今川義元は、第1回の45分で退場してしまうが、その後も家康の回想シーンで、たびたび登場する。「家康の育ての親」として義元の存在感を際立たせたのは、本ドラマの見どころの一つだ。「総集編」で見られるのが楽しみである。