(歴史ライター:西股 総生)
人物造形にあたっては作劇の要素が不可欠
例年、大河ドラマが最終回を迎えると、年の瀬をひとしおに感じるものであるが、今年の『どうする家康』、皆様はどうご覧になっただろうか?
大河ドラマというと、歴史的事件の描かれ方が史実と違う、といったことがネット上でしばしば話題となる。けれども、これまでに2回(『真田丸』『鎌倉殿の13人』)で、軍事考証に携わった立場から言わせてもらうと、個々の場面について史実との違いをいちいちあげつらうのは無粋だと思う。
なぜなら、大河ドラマは歴史に題材をとったドラマであって、歴史再現ドラマではないからだ。ドラマである以上、基本はエンタテインメントであり、フィクションは当然のことなのである。というより、史実だけをたどってもドラマにはならないのである。
たとえば、明智光秀がなぜ織田信長を討とうと思ったのか、浅野内匠頭がなぜ吉良上野介に恨みを抱いたのかなんて、本人に聞いてみなければわからない。いや、もしかしたら本人だって、よくわからないまま行動してしまったかもしれないのだ。
史上有名な合戦だって、実際に両軍がどう動いて何が勝敗を分けたのか、歴史家の間で議論があってはっきりしないことが多い。先般公開された映画『ナポレオン』でクライマックスとなったワーテルロー会戦にしても、プロイセン軍の戦闘参加がどこまで決定的な意味をもったのかは、史家の間で評価が分かれている。
軍事史研究の進んでいるナポレオン戦争においてすらそうなのだから、大河ドラマの常連である桶狭間や川中島、関ヶ原合戦ならなおさらだ。
しかも、これは原理的な問題であって、信頼性の高い史料が新しく見つかっても、研究が進展したとしても解決しない。なぜなら、戦場のすべてを客観的に俯瞰していた人間など誰もいないからだ。けれども、信長と光秀の間に何があって本能寺の変に至ったのか、関ヶ原で東軍がどのように勝利したのか、わかりやすく描かなければドラマにならない。
歴史上の人物も、また然り。足利尊氏や楠木正成、淀殿や北条政子のように、時代につれて評価が大きく変わった人物は少なくない。しかも、実際はそう簡単な話ばかりではないのだ。具体例を挙げよう。
豊臣秀吉の子飼いで、肥前唐津に入部した寺沢広高という武将がいる。彼は、関ヶ原合戦では東軍に参加して戦功により加増され、唐津と肥後天草で12万石を領した。広高は唐津城を築いて城下を整備し、産業・経済の振興に意を用いた。唐津の名所となっている虹ノ松原も、広高が城下経営のための防風林として植えたのが原形だ。
と、書くと名君のようだが、一方で彼は年貢を厳しく取り立て、わけても天草領における苛斂誅求はのちに島原の乱の引き金となった。要するに増税のための経済振興であって、どこかの総理大臣が唱えている「新しい資本主義」みたいな話だ。
朝鮮出兵に際して肥前名護屋に本営を置くよう、秀吉に進言したのも広高だ。唐津の港と城下は大いに潤ったから、広高本人とお友達の商人は大いに潤う一方で、領民は重税に苦しむの図である。
大河ドラマでは、いつも板挟み役に描かれる片桐且元にしても、もとは賤ヶ岳七本槍の一人なのだから、武闘派としての一面も持っていたはずだが、大河で武闘派として描かれたことはない。ことほど左様に、歴史上の人物は一面的には評価しきれないものであるから、人物造形にあたっては作劇の要素が不可欠となる。
結局、題材である歴史そのものが不確定性に満ちているゆえに、フィクションや脚色を交えなければ、そもそもドラマとして成立しない。だとしたら、史実を踏まえた上で、エンタテインメントとして楽しむのが大人の嗜み、といえるだろう。
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