利家追放の真相、ドラマでは明かされなかった「いさかいの相手」
秀吉はライバルの活躍に悔しがったが、利家からすれば、ただただ必死だったと思われる。
その理由は信長の「一度は追放したが、あれでなかなか気の回る男よ」という一言に潜んでいる。ドラマでは、秀長の妹あさひの夫・甚助が事情通のようだ。こんな説明をしている。
「前田様は槍の又左といわれた手だれとお聞きしました。いっとき殿さまに追放されたのも、いさかいを起こした相手を斬り殺したせいだとか」
ここは説明が必要だろう。織田信長の家臣である篠原主計(かずえ)の娘・まつと結婚し、順風満帆だった利家だが、永禄2(1559)年にある事件を起こす。信長に仕える拾阿弥(じゅうあみ)を斬り殺してしまったのだ。
きっかけは拾阿弥が利家をからかって、笄(こうがい:日本刀の鞘に取り付けられた小道具)を盗み出したことだった。
もともと振る舞いに問題が多い人物だったため、利家が「拾阿弥を成敗したい」と申し出るも、信長が拒否。抗議の意味を込めて、利家は信長の目の前で拾阿弥を成敗したとも伝えられている。
利家としても、処分は覚悟の上だっただろう。本来は死罪にされるところだったが、柴田勝家や森可成らからのとりなしがあり、出仕停止処分が下されることになった。
信長の怒りが解けるまで大人しくするほかなさそうだが、そこは「槍の又左」。戦と聞けば、じっとはしていられなかったようだ。
永禄3(1560)年に「桶狭間の戦い」が起こると、勝手に参戦して武功を上げている。さらに、永禄4(1561)年に美濃へ侵攻した「森部の戦い」でも活躍し、ようやく復帰が許されることになった。