韓国に息づく古い暦も「いとをかし」

 筆者は想像してみる。彼は海辺に立ち、ただ感覚的に波をスケッチしたのではないだろう。月の満ち欠けを見ながら潮の満ち引きを読み、自然のリズムを体で受け止めていたのではないか。当時の人々にとって、月の引力は「最新科学」であったのではなかろうか。陰暦は非科学でも非理性でもなく、むしろ生活に深く根ざした「観察の学」であったのではないか。

 現代の科学は宇宙の果てを測り、量子の動きを記述する。しかしその根底には、自然を観察するという人類の古い習慣がある。

 芸術も同じである。最先端のデジタル技術は、自然の風景や光の動きまで模倣し、見事に再現している。科学と芸術は対極にあるようでいて、根のところでは同じ方向を向いているようにも見える。解明し尽くした先に、なお解けない何かがある。神はサイコロを振らないとアインシュタインが言った、その不確定なすき間に、人は魅了され続ける。

 急激なデジタル化は、私たちに便利さと興奮を与えてくれる。その一方で、すべてを即座に処理し、効率化し、結果を求める姿勢を強めてもいる。陰暦はそれとは逆方向の時間を生きている暦である。月はカレンダーに合わせて満ち欠けしない。人間が月に合わせるのである。そこには、急がないという贅沢がある。

 外国で3人の子供を育てていると、心も体も目まぐるしく忙しくなる。子供を複数の塾に送ったり、習い事を重ねたりすると、やることが無限に増えていくのも、韓国ならではだ。

 そんな中で自然の法則に身を任せる時間を、少しだけ取り戻してみてもいいのではないかと考えるようになった。デジタルの光に照らされる都市の片隅で、月は今日も同じ速度で満ち、同じ速度で欠けていく。私たちが慌ただしく1年を駆け抜けても、立ち止まっても、月は変わらずに動き続ける。陰暦は、その自然の摂理をそっと教えてくれる。

 最先端のデジタルアートがあふれる国で、古い暦がまだ息づいている。その矛盾の中で暮らしながら筆者は思う。世界は加速していく。だからこそ、月のリズムに耳を澄ませる生き方もまた、「韓国暮らし、いとをかし」なのかもしれない。

立花 志音(たちばなしおん)
1977年生まれ 東洋英和女学院大学短期大学部キリスト教思想科卒業後、損保勤務を経てソウルに留学。2005年韓国で出会った夫と結婚。現在2男1女を育てながら日本人が見る韓国をライターとして韓国内で活動中。