日本人観光客が残した寄付は日本人と韓国人の国家観を浮き彫りにした(写真:tokyoimages/イメージマート)
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(立花 志音:在韓ライター)

 韓国第2の都市・釜山、金海空港の募金箱に、ひとりの日本人観光客が110万ウォン(約12万円ほど)を置いていったというニュースが韓国で話題になった。そこには、短い日本語のメモが添えられていた。

「楽しい韓国旅行でした。困っている人たちに使ってください」

 高市政権になってから、一層日本に対する関心が高まっている。もちろん「偽善ではないか」「日本人にこういう行動ができるのか?」「日本の国家イメージ戦略?」など、皮肉や嫉妬、敵対心も相変わらずゼロではないが、韓国ネットでは称賛の嵐が舞った。

 そして、韓国人がネットで井戸端会議を始めると、なぜか小さな善意が外交や国家ブランドの話へと発展していく。

 この話題は日本のネットでも話題になり、後追いの解説動画も出回っている。さまざまな意見が飛び交う中に、日韓の思考差が静かに読み取れる。一人の行為を「個人の徳」と見るのか、「国家の姿」と読むのか──だ。

 その違いは、筆者にとっては国家観の違いとしか言いようがない。

 韓国人はよくこう言う。「日本人は、一人ひとりはいい人なのにね」。このニュースに付いたコメントを紹介してみよう。

「日本人の個人個人は、本当に見習うべき点が多い。人情があって、自己犠牲の精神もあり、倹約で勤勉で、約束もきちんと守る。しかし、指導者が凶悪な人になると、国民たちは反抗しないでついていくという習性がある。それが問題だ」

 そして「一人ひとりはいい人なのにね」の後に続くのは「日本という国家は悪い国だけどね」というカッコ書きである。恐らく、まだほとんどの韓国人がそう考えているであろう。

 日本人からすれば、矛盾を感じざるを得ない。良い人々が積み重なって社会を作っているのに、なぜ国は「悪」になるのか。ところが、韓国人の中では矛盾ではない。彼らにとって、国家と国民は一体化したり分かれたり、自分たちの都合によって、その都度変わるものだからである。

 国家が強ければ、自分の格も上がる。まるで、国は自分を覆う「ブランドバッグ」もしくは「外車か高級車」のようなものであり、自分の内面の延長ではない。ここで日本人との決定的な違いが生まれる。