韓国・ソウルの街並み。高層マンションが何十棟と立ち並ぶ大型団地の中に学校や塾がそろっている(写真:ロイター/アフロ)
(立花 志音:在韓ライター)
「ちょっと、先に降りてって言っているでしょ! お兄ちゃんが降りられないじゃない!」
思わず筆者は声を荒らげてしまった。雨の降る日、主人の車で2人の子供を習い事に送り届ける時のことである。
2人は後部座席に乗ると必ず、次男が運転席の後ろ、末娘が助手席の後ろに座る。ここ数年、それが指定席のようになっている。先に次男の目的地に着いたため、娘を「越えて」降りなければならない状況になり、娘に「先に降りて」と頼んだ。なのに娘は「嫌だ」と言うのだ。結局、次男が無理やり降りることになった。
末娘がわがままなのは今に始まったことではない。主人の家系では約100年ぶりに生まれた娘だったので、生まれた時から蝶よ花よで祖父母に甘やかされ、本人も自分の立ち位置を理解している。
次男が降りた後に、もう少し相手のことを考えてほしいと話した。しかし娘は筆者が何を言いたいのか、よく分かっていない様子だった。
少し会話をして、筆者は非常に驚かされた。娘は、なぜ「降りろ」と言われたのか全く理解できていなかったのだ。一度降りてからまた乗り込む、という発想が娘にはなかったのである。我が子ながら、少し理解に苦しんだ。
娘をバレエ教室に送り届けた後も、筆者は考え続けた。娘が自己中心的な性格だということは十分承知している。しかし、何かが引っかかる。しばらくして筆者はひらめいた。これは「社会的経験値の不足」によるものではないか、と。しかも極度に慢性的な症状である。
日本で育った子供ならば、自然に身につくと言っても過言ではないだろう。