韓国と日本を分かつ思考の境界線
金浦空港の募金箱に入れられた紙片は、ただの観光客のボールペン書きメモだった。しかし今回はその奥に、国家と個人の距離をあぶり出すような、レモン果汁で書かれた暗号のような威力を発していた。
日本人にとって国家とは、自分の行いの延長線上にある鏡のようなものならば、韓国人にとって国家とは、自分の価値を左右する巨大な他者のようなものだ。だから韓国人は、こう矛盾なく言えてしまう。
「日本人は個人としては本当にいい人だ。ただし日本は準敵性国家だ」
彼らの中で、それは矛盾ではない。国家を鏡と見るか、運命の他者と見るか──。その違いが、同じ行為さえ別の意味に変えてしまうのである。
釜山に置かれた紙切れからあぶり出された線は、国境線ではなかった。国家をどこに置いて生きるかという、思考の境界線だったのである。
立花 志音(たちばなしおん)
1977年生まれ 東洋英和女学院大学短期大学部キリスト教思想科卒業後、損保勤務を経てソウルに留学。2005年韓国で出会った夫と結婚。現在2男1女を育てながら日本人が見る韓国をライターとして韓国内で活動中。