今の維新に“情熱野郎”はいるか?
自民党との「連立」に転じた維新には、茨の道が広がっている。
何より、橋下氏や松井一郎氏など維新の第一世代はこれまで、「既得権」に絡めとられた自民党には大胆な改革は絶対にできないと強調してきた。そして自分たちこそがその既得権を打破するのだという、いわば“情熱野郎”として存在感を示してきた。
「おおさか維新の会」の結党大会を終え、記者会見する橋下徹大阪市長(中央)。左は松井一郎大阪府知事、右は吉村洋文氏=2015年10月31日(肩書は当時、写真:共同通信社)
今、維新はその自民と「連立」しながらどのような「改革政党」たりうるのか、説得的な答えはまだ見いだせていない。
それを傍証するように、高市政権内での維新の動きは、武器輸出の条件緩和や非核三原則の見直し、原子力潜水艦の保有など、安全保障政策におけるタカ派的な「アクセル役」ばかりが目立っている。しかし、「憲法・外交安全保障」の軸でエッジをたてるのは簡単であり、それはむしろ「行財政改革・社会保障」の軸における骨太の問題提起からの逃避ではないだろうか?
その反面、自民党に対する「身を切る改革」は貫徹できていない。象徴的なのは「政治とカネ」である。
公明と国民は企業団体献金の受け手を制限する案を提出し、これは自民党が7000以上の支部で献金を受けとる現状からすれば遥かにマシな改革案だったが、維新は「衆議院議員の1割削減」で論点をずらしながら、自民に配慮する形で反対。2025年の国会は企業団体献金について何の結論を出すこともできないまま終わってしまった。
「身を切る改革」の掛け声の裏側で、藤田文武氏による身内企業への「公金マネーロンダリング」や地方議員による国保料支払い逃れ疑惑なども生じ、徹底して襟を正す気風も風化が見られる。
維新の創業者たちが喝破した捨て身の改革魂が今の維新にどれだけ受け継がれているか、心もとない。