「既得権交代」としての政権交代
「既得権」とは平成政治のキーワードの一つであるが、この言葉も中身を定めておく必要がある。
業界団体であれ労働組合であれ、団結して政治に利益実現を働きかけることは重要な政治参加であり、政党もそれを汲みあげて予算や税制に反映させることは立派な仕事である。その結果として制度化された利益は、まさに政治参加を通じて「勝ち取られた権利」であり、それを否定することは政治の否定であろう。
しかし、これら「勝ち取られた権利」は、1990年代以降の「改革」の趨勢のなかで、「既得権」と言い換えられ、非難と削減の対象となってきた。
たしかに、「勝ち取られた権利」と「既得権」とは紙一重である。では、この二つは何が違うのだろうか?
私なりに定義すれば、政治参加を通じて「勝ち取られた権利」のうち、自民党政権の長期化のなかで(1)もはや手続きにおいて透明公正な基準を満たしておらず、(2)内容において必要性や喫緊性が乏しく、(3)政治権力者との癒着によって惰性的に供与されている便宜があり、正確にはそれが「既得権」とされるべきものであろう。
目下、そのような「既得権」には、市民や納税者からすれば納得できないものも少なくない。たんに個別の事業者の特殊利益でありながら、政権与党との恣意的な親密さゆえに行政からの支援を受けているのならば、その回路から外れた有権者は政治に不信感を抱き、利益配分の再度の流動化を求め、それがなされなければ政治そのものの否定に走るのも当然だろう。安倍政権で生じた森友・加計学園などはそのわかりやすい例である。
その意味で、「既得権」は不断の見直しが必要であり、それは与野党の健全な競争や定期的な政権交代がなければ実現できない。健全な民主主義のためにも、「既得権交代」としての政権交代(松原聡)が必要なのである。