幕府崩壊の目撃者として

 その後、歴史は大きく動く。西周は鳥羽・伏見の戦い、江戸城無血開城、そして慶喜の水戸隠棲に至るまで、将軍の側近として徳川幕府の終焉に立ち会った。西は歴史の激動の渦中にありながら、旧体制の崩壊の先にある、新しい時代の到来を冷静に見据えていた。

 西周は、幕末の混乱期において、学問的知見を具体的な国家構想にまで高め、それを実践しようとした稀有な思想家であった。彼が幕府側で描いた国家設計図は、旧体制の崩壊とともに一旦は歴史の舞台から姿を消した。

 しかし、彼が蒔いた思想の種、とりわけ立憲政治という理念は、明治新政府の下で形を変えて生き続けることになるのだ。

 次回は、西周による和製漢語の創造とその分類、その知的遺産の東アジアへの波及に言及し、西の功績である実証的・合理的精神の導入、近代社会科学の体系的紹介、近代的思考を可能にする言語の創造について、まとめてみたい。