日本初の憲法草案「議題草案」の提出
西周の政治的貢献が頂点に達したのは、慶応3年(1867)10月のことである。大政奉還を目前に控えた徳川慶喜から、今後の国家体制について諮問を受けた西は、イギリス議会制度や三権分立について詳述するとともに、日本史上初となる憲法草案ともいわれる「議題草案」をもって答申した。この草案は、彼のオランダでの学びを凝縮した、画期的な国家構想であった。また、「泰西官制説略」を併せて提出している。
「議題草案」は、公議政体の樹立が求められる中、大政奉還に引き続き幕府が取り組む政策として、会議制度の創設を提案している。「別紙 議題草案」は、これに基づき作成された、徳川家中心の政体案である。
この中で、三権分立の導入を提唱した。西洋の官制に倣い、立法・行政・司法の三権分立を明確に打ち出したのだ。そして、 徳川家中心の立憲政体を謳い、天皇を国民統合の象徴的地位に置きつつ、行政権を将軍(大統領)が、立法権を諸藩の大名・藩士から成る「議政院」が担うという、徳川家を中心とした立憲君主制を目指したのだ。
この構想は、12月9日政変(王政復古の大号令)によって、新政府樹立が宣言されたため、実現は叶わなかった。しかし、西洋の政治思想に基づき、日本の国情に合わせた具体的な統治機構を設計したこの草案は、西の思想家・政策提言者としての先進性を象徴する不滅の金字塔であると筆者は確信している。
