被告人質問に臨む山上被告、11月20日=イラスト・松元悠氏(提供:時事通信社)
3年前の7月の参議院選挙で応援演説中だった安倍晋三元首相が銃撃され死亡した事件。手製の銃で襲撃して殺人罪などに問われた山上徹也被告(45)の裁判が今月18日に結審した。検察は死刑ではなく、無期懲役を求刑している。
民主主義の根幹を揺るがす重大な政治テロ事件でありながら、一方で母親が旧統一教会(世界平和統一家庭連合)に多額の献金をして家庭が崩壊していったという被告人の「不遇」が争点となったこの裁判。その特異性について、報道された内容をもとに検証してみたい。
なぜ「毒親」から離れなかったのか
裁判を通じてまず驚かされたのは、山上被告の家族への執着にある。仮に母親が「毒親」であるのなら、離れていくこともできたはずだ。
山上被告の父親は、彼が4歳の時に自殺している。それから母方の祖父と母親、兄、妹の五人暮らし。山上被告が小学6年の10歳の時に、母親が旧統一教会に入信する。きっかけは、兄の健康状態だった。証人として出廷した母親は、こう証言している。
「脳に腫瘍があり、1歳の時に手術をした。小学2年の時に右目を失明した。翌年に開頭手術を受けた兄を見て、二度とこんな手術をさせたくないと思った」(11月13日第7回公判)
母親として思い悩んだことだろう。そのことを自宅に訪ねてきた若い女性に話すと、「家系図を見たらいい」と教団に勧誘されたという。それから約7カ月で計5000万円を教団に献金。山上被告が中学2年の時に、こうした状況が明らかになり、家族の生活が一変した。
