山上被告は母親のことを、被告人質問でこう語っている。

「基本的には悪い人間ではないが、統一教会に関することでは理解しがたい面が多々あった」

「あれほど多くの献金さえなければよかったと思う」(11月20日第10回公判)

山上徹也被告(写真:共同通信社)

 その後、多額の献金に反発していた祖父が死去。母親は実家を売却するなどして献金。総額は約1億円にまでなった。山上被告は高校3年で大学受験を控えていたが断念。21歳で海上自衛隊に入隊する。

母親には向かなかった怒りの矛先

 24歳の時に自殺(未遂)を図る。しかし、母親は韓国の教団施設にいて、戻ろうともしなかった。

 やがて、母親の多額の献金を恨んでいた兄が自殺する。山上被告は35歳だった。その兄の葬式も、教団の関係者が入ってきて旧統一教会の「式」をはじめた。

「『帰ってくれ』と言ったが、『分かりました』と言いつつ、式を始めた。怒鳴ったりつまみ出したりしないと止まらないが、棺の前ではばかられた。『なんてことをするのか』。こういうことをこれまでもしてきたし、これからもしていくのだろうと思った」(11月25日第11回公判被告人質問)

 そして、母親の言葉で教団幹部の襲撃を決意するようになる。

「母の中で、兄は天国で幸せに暮らしていることになっていた。それは献金したおかげで、兄が生前苦しんでいたのは(過去に教団に献金の返金を求めて一部の)金を返金させたから、という理解になっていた」(同)

 それを聞いた山上被告は過去にないほどに怒りをおぼえ、「蓄積したものが全部爆発した」とも語っている。

 だが、そうだとするならば、その怒りの矛先は母親に向かってもいいはずだ。ところが、山上被告の標的は教団や本部の幹部たちに定まっていく。