大分市佐賀関の火災を見つめる近隣住民(2025年11月18日) 写真/共同通信社
(白石 拓:作家・サイエンスライター)
木造住宅密集地の狭い露地が消火を妨げた佐賀関の火災
今年(2025年)11月、災害級の大規模火災が日本と香港で相次いで発生しました。2つは市中火災における典型的な対照例といえ、大分市佐賀関では水平に延焼して広い面積の家屋が焼損し、香港では7棟もの高層マンションが燃える垂直延焼で多数の犠牲者が出ました。
モニターを通してこの2件の大火を目撃した人も多かったでしょう。筆者の目に映った光景はどちらも真に惨憺たる様相でした。今回はこの2件の事例から、火災と気象の関係を科学の目で考察していきます。
まず、佐賀関の火災の概要を簡単に整理しておきましょう。火災が発生したのは大分市の佐賀関地区で、豊後水道に向かって東に突き出した佐賀関半島に位置します。佐賀関はかつて海上交通・軍事の要衝として関所が置かれ、現在では「関アジ」「関サバ」と呼ばれる高級ブランド魚の生産地として有名です。
【図表1】佐賀関の位置出典:「令和7年11月18日に発生した大分県大分市佐賀関大規模火災における建築物等の被害調査報告(速報)」国土交通省 国土技術政策総合研究所、国立研究開発法人 建築研究所
その佐賀関に火の手が上がったのは11月18日の17時43分頃。各戸で夕餉(ゆうげ)の支度に火を使っていたと思われる時刻です。木造の低層住宅が多く密集する地域だったため、火は瞬く間に燃え広がり、狭い露地に消防車がなかなか入れないこともあり、消火作業は思うように進みませんでした。
結局、半島の宅地部分で火が鎮圧されたのは20日11時、鎮火したのは出火から10日後の28日13時30分でした。「半島の宅地部分」といったのは、半島の火が沖合約1.4kmに位置する無人の蔦島(つたしま)にも飛び火し、林野に燃え移ったからです。1km以上も離れた島に飛び火するのは非常に稀で、最終的にこの蔦島を含む全域が鎮火したのは12月4日14時でした。
なお、「鎮圧」とはこれ以上燃え広がる恐れがなくなった状態を指しますが、消火活動は継続されます。そして「鎮火」とは完全に火が消えたことを指します。
出火から鎮火まで17日間燃え続けた火災で、焼失家屋は187棟、焼失面積は約4万8900平方メートルにも及びました。これは標準的なサッカーグラウンド(約7000平方メートル)の約7面分にもなります。
【図表2】田中地区の被災建物分布出火場所は①の黒破線内と考えられており、概ね東・南東方向へ燃え広がった
出典:「令和7年11月18日に発生した大分県大分市佐賀関大規模火災における建築物等の被害調査報告(速報)」国土交通省 国土技術政策総合研究所、国立研究開発法人 建築研究所
被災したのは主に佐賀関の田中地区と呼ばれる一画で、2025年10月末の住民基本台帳によると、世帯数は138戸、人口は194人でした。世帯数と焼失家屋数のアンバランスからわかるとおり、地区には空き家が多く、それが延焼規模や速度にも影響したと考えられます。
この火災で不幸にも死亡者が1人、負傷者が1人出ました。地区の高齢化(65歳以上)率は72.2%とされており、にもかかわらず死傷者が最小限にとどまったのは、おそらく住民どうしが声を掛け合って手際よく避難したのだろうと想像できます。
しかし、人的被害が少なかったのには、家屋のほとんどが低層住宅で逃げやすかったことも要因といえます。高層のマンション火災ではこうはいかないでしょう。次に香港の火災について見ます。