本来は更迭が妥当だが、高市首相の「身内中の身内」
そもそもオフレコとは何かについても、整理が必要です。
日本では「オフレコ」という言葉が曖昧に使われており、発言者を特定しないバックグラウンドブリーフィングから、内容を一切報じない「完全オフ」まで混在してしまっています。
例えば、日本新聞協会は「取材源側と記者側が相互に確認し、納得したうえで、外部に漏らさないことなど一定の条件のもとに情報の提供を受ける取材方法」と定義しています。
ここでは「その約束には破られてはならない道義的責任がある」としつつも、「ニュースソース側に不当な選択権を与え、国民の知る権利を制約・制限する結果を招く安易なオフレコ取材は厳に慎むべき」との見解も示しています。
国際的には、チャタムハウスルールのように発言内容は引用できるが、発言者を特定しないという慣行が確立していますが、日本ではその運用が属人的で、記者と取材源の関係性に依存する部分が大きいのが実情です。
過去にもオフレコ破りが問題となった事例は複数あります。
2023年には岸田政権の首相秘書官であった荒井勝喜さんがオフレコ取材でLGBTに関する差別発言をしたとされ、毎日新聞が実名で報道に踏み切りました。毎日新聞は「政権の中枢で政策立案に関わる首相秘書官がこうした人権意識を持っていることは重大な問題」と判断し、本人に事前通告のうえで報道しました。
岸田総理は「政権の方針とは全く相いれず言語道断」として荒井さんを更迭しています。
今回の核保有発言と荒井さんのケースでは発言内容の性質は異なりますが、政権中枢の人物がオフレコを過信して問題発言をし、メディアが公益性を理由に報道に踏み切るという構図は共通しています。
他にも、テレビの前で堂々としゃべっておきながら、その内容について語り終えた後で「書いた社は終わりだから」と復興相・松本龍さんに言い放たれるも、地元紙・河北新報に堂々報じられた2011年のケースもあります。
本来であれば、今回も更迭が妥当でしょう。政府方針と異なると解釈される見解を、よりによって政府中枢の安全保障担当者が記者の前で語り、それが海外メディアにも取り上げられ、中国・北朝鮮に批判材料を与えるという失態は、どう見ても職責を果たしているとは言えません。
しかし、発言者が高市総理の安全保障政策を指南するブレーンであり、政権発足時から深い信頼関係にあるとされる「身内中の身内」であることが、判断を難しくしています。