自分の発言が政治的にどう利用されるかを想像できない人物を中枢に置くべきではない
発言者は「オフレコだから大丈夫」と考えていたのかもしれません。しかし、それこそが危機管理能力の欠如を示しています。政権の安全保障政策を担う立場にある人物が、オフレコとはいえ複数の記者が居合わせる場で核保有論を語れば、それがどう伝わり、どう利用されるかは容易に想像がつくはずです。
案の定、中国外務省は「日本の一部勢力の危険なたくらみが露呈した」と批判し、北朝鮮外務省は「核武装化の野望を直接述べたもの」として非難談話を発表しました。そらそう言われまんがな。
高市政権は直前の「台湾有事」をめぐる国会答弁で日中関係を悪化させたばかりです。このタイミングでの核保有発言は、外交上の失点を重ねるだけでなく、中国や北朝鮮に対日批判の格好の材料を与える結果となってしまいました。
後述しますが、日本では割と緩くとらえられている背景関係(バックグラウンドトーク)の秘密保持や、発言者の秘匿を前提として議論するチャタムハウスルールが日本では曖昧に扱われていることに他なりません。
国民の知る権利としての代表権を担うマスコミは、ある種の紳士協定としてのオフレコよりも、政府中枢を担う人物の行った発言内容が公衆の利益に資すると判断すれば当然に報道してしまうことはあります。
だからこそ、政府中枢で役職を持つ人は、マスコミとの付き合い方において、たとえ官邸番記者の顔なじみだろうが、大学から20年来の友人であろうが、「根本的なところで属人的な信頼関係を元に政府の機微に関する情報を提供してはならない」のです。
特に、核不拡散条約(NPT)を結び、核の平和利用を前提にウランを輸入し原発に依存する日本にとって、政権中枢に核武装論者がいるという事実が明るみに出ることは、燃料供給や外交面で国益を大きく損なう危険を孕みます。
東アジアの緊張を高め、結果として緊張関係にある中国を大きく利し、対外的な、特に英語圏での中国による反日宣伝工作を強く資する行為でもあるのです。
うっかり口にしてしまったという釈明もあるのかもしれませんが、核保有論の是非を議論する以前に、この発言が政治的にどう利用されるかを想像できない人物を、安全保障政策の中枢に置いておくことのリスクを直視すべきでしょう。賛成派から見ても反対派から見ても、実に軽率で、極めて無能な発言だったと言わざるを得ません。