俎上に上がらなくなった「本当の聖地」

 この興亜観音は私的な慰霊施設であった。そのため、公的な慰霊施設を建立する機運が高まっていく。そして、興亜観音に納骨された7人の遺骨から「ひとつまみ程度」を分骨、改葬し、1959年4月に愛知県西尾市の三ヶ根山に「殉国七士廟」を建立して納骨されたのである。

 墓碑の揮毫は、自身もA級戦犯容疑者として収監された岸信介元首相によるものであった。墓は高さ約5メートルと、かなり大きいものだ。

 こうして、A級戦犯の墓所が完成した。だが、左翼過激派に知られると標的になってしまう。現に、1971年12月12日には「東アジア反日武装戦線」によって、興亜観音と殉国七士之碑への同時爆破テロが引き起こされた。

 興亜観音像には時限式の鉄パイプ爆弾が、殉国七士之碑には消火器爆弾が設置された。興亜観音像のほうは不発であったが、殉国七士之碑は破壊された(翌年に修復)。

 1978年、靖国神社は東京裁判で処刑・獄死した14名のA級戦犯を密かに合祀した。その後、政治家による靖国神社参拝を巡ってしばしば議論が噴出している。

 その場はあくまでも「墓=遺骨の埋葬地」ではなく、「神社=鎮魂の場」である。なぜか、近年では7人の「本当の聖地」である興亜観音や殉国七士之碑の話題が俎上に載ることはない。

 墓所での埋葬と、靖国神社での合祀。この2つ(正確には3つ)の場所は、「戦犯の記憶」を巡って混乱の場所でもあり続けた。そして「戦後80年」の年が、間もなく終わろうとしている。慰霊と歴史認識をどう両立させるかが問われている。真摯な歴史の検証があってこそ、死者への誠実な鎮魂も可能になると思う。

鵜飼秀徳(うかい・ひでのり)
作家・正覚寺住職・大正大学招聘教授
1974年、京都市嵯峨の正覚寺に生まれる。新聞記者・雑誌編集者を経て2018年1月に独立。現在、正覚寺住職を務める傍ら、「宗教と社会」をテーマに取材、執筆を続ける。著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』『仏教の大東亜戦争』(いずれも文春新書)、『ビジネスに活かす教養としての仏教』(PHP研究所)、『絶滅する「墓」 日本の知られざる弔い』(NHK出版新書)、『ニッポン珍供養』(集英社インターナショナル)など多数。大正大学招聘教授、東京農業大学非常勤講師、佛教大学非常勤講師、一般社団法人「良いお寺研究会」代表理事。公益財団法人日本宗教連盟、公益財団法人全日本仏教会などで有識者委員を務める。