A級戦犯の御霊を祀る靖国神社(写真:つのだよしお/アフロ)
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(鵜飼秀徳 僧侶・ジャーナリスト)

 A級戦犯の東條英機ら7人が1948年12月23日に絞首刑に処せられ、77年の節目を迎える。彼らの遺体は極秘裏に火葬され、太平洋に投棄されたことが近年、米軍の公文書機密解除によって判明している。

 A級戦犯の御霊を祀る場所は靖国神社となっているが、その実、彼らの「墓」が存在する。A級戦犯の処刑とその後を巡る「戦後史ミステリー」を追ってみた。

 第二次世界大戦における「平和に対する罪(A級戦犯)」として28人が起訴され、東京裁判(極東国際軍事裁判)が始まったのが1946年春のことであった。

 およそ2年半後の1948年11月12日、東條英機(元首相)、広田弘毅(元首相)、板垣征四郎(元陸軍大臣)、松井石根(元陸軍大将)、土肥原賢二(元陸軍大将)、木村兵太郎(元陸軍大将)、武藤章(元陸軍大将)の計7人に対して、絞首刑が言い渡され、翌月の12月23日午前零時過ぎに絞首刑が執行された。

 最期を迎えるにあたり、幾人かは「辞世の句」を残した。

 東條は処刑前日に複数の辞世を詠んだとされている。そのうちのひとつ、「さらばなり 有為の奥山 今日越えて 弥陀のみもとに 行くぞ嬉しき」(いよいよ、この世とのお別れだ。苦悩と迷いの現世を越えて、阿弥陀仏の極楽浄土へ行けることは何という喜びであろうか)は、印象的な一句である。

 東條たちは巣鴨プリズンで、教誨師であった浄土真宗僧侶、花山信勝と出会い、死生観に大きな影響を与えたとされている。東條は、花山によって浄土真宗に深く帰依したひとりであった。独房では『浄土三部経』を読みふけり、念仏を称える毎日であったと伝えられている。

『米国外交関係誌』によれば処刑直前、東條は花山と1時間だけ二人きりで過ごす時間を与えられた。この時、東條は「米国憲兵と一緒に合掌するのも仏縁だね」などと語り、笑みを浮かべたという。東條はワインを飲み、独房棟内に即席で作られた礼拝堂で、生前の法要が執り行われた。

 刑場へと向かう前、東條や松井らは一斉に「万歳」を三唱。そして大きな声で「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と称えながら行進し、刑場へと消えたという。