戦犯の遺骨を「水葬」にする理由

 A級戦犯の遺骨は同日、米軍機で相模湾沖30マイル(約48km沖)に運ばれ、米軍将校らによって上空から太平洋にばら撒かれた。この事実は、米軍の公文書機密解除に伴い、2021年6月7日付毎日新聞によって報道されている。

 こうした遺骨の「水葬」は、戦犯に問われた政治家や宗教指導者の墓が、崇拝の対象となることを防ぐため世界各地でしばしば行われている。

 ナチスドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーは1945年に自殺した後、遺体が焼却された。その後、墓標が作られたが、後にソ連のKGBによって完全に粉砕され、東ドイツのエルベ川に投棄された。

 2011年に殺害された国際テロ組織アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディンの遺体も、北アラビア海に投棄された。墓が過激派の巡礼地となることを避けるためだった。

 わが国ではオウム真理教事件の首謀者で教祖、麻原彰晃(松本智津夫)の遺骨は、現在も東京拘置所に保管されたままだ。2018年7月の死刑執行から7年近くが経過した現在も国が遺族への引き渡しを拒否し、審理が続いている。

 これも、教祖の遺骨が聖なる遺物として、崇拝の対象となることを国家が恐れているからである。麻原の遺骨が海洋投棄になるかどうかは、わからない。

 話を元に戻そう。東條らの処刑と火葬から2日後の12月25日深夜のことである。戦犯の弁護士、火葬場長、火葬場の近くの興禅寺住職らが久保山斎場に侵入を試みた。そして、先述の残骨灰を入れる穴から、先端に空き缶を結びつけた棒を使って骨壺1つ分をすくい取り、密かに持ち帰ったというのだ。

 回収された残骨灰は、密かに興禅寺に安置されていた。だが、処刑の翌年1949年5月、熱海・伊豆山の興亜観音に極秘に埋葬された。興亜観音は先に述べたように、松井石根が南京攻略で日中両国から出た犠牲者の供養のために建立したものである。

回収されたA級戦犯の残骨灰が埋葬された熱海・伊豆山の興亜観音(写真:近現代PL/アフロ)