「愛する人たちに囲まれて、自宅で穏やかに死にたい」という究極の願い
さらに、検死医が死因を操作したと推察される事例は、現場の人間が、法よりも人道的な配慮を優先せざるを得ないほど、合法化の必要性を感じていることの証左とも言える。
自らの尊厳を全うするために多額の費用と労力をかけてスイスへ渡る患者、あるいは誰にも看取られず、たった一人で死地へ赴こうとする患者の訴えは、「愛する人たちに囲まれて、自宅で穏やかに死にたい」という究極の願いが、現行制度では叶えられていないという現実を示している。
本稿では詳述しなかったが、日本でも東海大学安楽死事件、川崎協同病院事件、京都ALS嘱託殺人事件など、 医師による「安楽死幇助」の事例がある。
安楽死合法化への道は、患者の「自己決定権」と医療の「生命至上主義」という二律背反する価値観をどう調和させるかという問いでもある。この議論は、単なる法制度の改正ではなく、社会が「尊厳ある死」をどのように捉え、支援していくのかという、文明の成熟度が問われる倫理的な問いかけでもあると言えるだろう。