「私の感情は、私だけのものではない」

恩蔵:感情労働という言葉の前提には、「私の感情は、私だけのものではない」という考え方があると思っています。

 同じ時代を生きる人たちの間でも、「何をよいと感じるか」はさまざまです。たとえば父に料理を作った際に私は「おいしい」と言ってほしいと思いますが、父は「男はそんなことを言わないものだ」と育ってきた世代です。

 文化や世代、コミュニティの中で共有されてきた「みんなの感情」があり、それぞれに感情の表現の仕方が違う。

 ホックシールド氏が取材した客室乗務員の企業では、お客さんとぶつからないように「これが正解です」と示される感情表現のマニュアルがありました。そこに自分の感情を合わせるように教育されるのです。

 この自分の感じていることと、求められる感情表現の間を埋める努力のことを、ホックシールド氏は「感情労働」と論じました。

──OpenAIがGPT4oからGPT5へモデルを移行した際に、「GPT4oを返してほしい」という「#KEEP4O」運動が起きました。AIに対して共感したり、結婚を宣言したりする人まで現れています。こうした現象をどう捉えていますか。

恩蔵:私は「AIに心はない」と考えています。ただ「心があるように見えてしまう」とも感じています。このような初めての存在に私たちは出会っていると捉えています。

 人間の言語は、脳が生み出す最も高度な機能のひとつです。長い会話の体験を、私たちは「面白かった」「今日はこういうところがよかった」と圧縮して語ります。大規模言語モデル(LLM)は、その圧縮された人間の言葉を膨大なスケールで読み込み、パターンを学習している存在です。

 人類が書き残した言葉の平面を横方向にどこまでも探索している。だから、私たちの知らない知識や「平均的にはこうした方がよい」という答えを返すことができるし、不快なことを言わないよう訓練もされています。

 そういう存在に私たちは「人格」や「心」を見てしまう。言葉の平面の探索は非常に深く、人間以上に言葉の世界を知り尽くしているように見えるからです。

 でも、一つの言葉の背後には膨大な経験がある。人間の心の深さは、時間をかけて経験を積み重ねていく縦方向の深さにあると私は考えています。AIがどれだけ言葉の表層を探索しても、感情の根本である「揺れ動く経験そのもの」には触れられない。だからAIには心はないと考えています。

 ですが、目に見えない感情の動きを追うことによる認知的負荷から解放されたい私たちは、そもそも嫌なことを言わない、否定してこないAIに寄りかかりたくなるのだと思います。