多様化する「社会人野球」の形態

「会社登録チーム」が、休部・廃部になって「クラブチーム」になるケースも増えた。

 実はパナソニックも2022年4月1日付で、パナソニック本体から切り離され、パナソニックスポーツ株式会社が運営母体になっている。登録は「会社登録チーム」のままだが「クラブチーム」に近い形態になっていたのだ。

 社会人野球の「会社登録チーム」の減少によって、大学、高校の受け皿が減少した。2005年にスタートした独立リーグ「四国アイランドリーグ」の創設者、石毛宏典氏は「独立リーグは、社会人野球に代わって、大学生、高校生に野球で生きていく機会を提供する」と話した。

 近年は、近年、高校・大学の有望選手が社会人に進まず、独立リーグ球団に入るケースが増えた。そういう選手は「社会人は高校で3年、大学で2年経たないとプロに行けないが、独立リーグなら1年でNPBに行ける。それに社会人は育成指名はないが、独立リーグなら育成指名される」と話す。

 21世紀以降、社会人野球は長く低迷が続いたが、昨年、2009年に休部した日産自動車野球部が25年から活動を再開すると発表した。社会人野球界には久々の朗報だった。

復活した日産自動車野球部の選手たち。前列左から4人目は伊藤祐樹監督(写真:共同通信社)

 筆者は日産自動車の記者会見を取材したが、担当役員は「日本だけでなく、海外から来た社員など日産の社員は多様化している。野球部がこうした社員の『統合の象徴』になれば」と話した。

 長く没交渉だった社会人野球とプロ野球だが、近年は交流が進み、今では社会人野球チームは、1チームにつき年に2名まで、元プロ野球選手を入団させることができるようになった。また元プロ野球選手が監督、コーチなどに就任するケースも増えている。

 かつては多くの野球ファンを集めた社会人野球の試合だが、今は、両チームの関係者以外の観客は、極めて少なくなっている。応援は相変わらずにぎやかだが「内向き」の印象は否めない。

 今回のパナソニック野球部の休部は「業績不振」が原因だが、企業形態が変化し、人々の「働き方」も多様化する中、社会人野球は、新たな在り方を模索する時期に来ていると言えよう。