1927年に第1回大会が行われる。職業野球(プロ野球)が始まるのは1936年からだ。社会人野球はプロ野球より9年も古い歴史を有しているのだ。

 プロ野球がなかった時代、社会人野球は、大学や中等学校を卒業した野球選手が、プレー続行を希望した際の「受け皿」という意味合いが強かった。

 1936年に職業野球(プロ野球)が誕生してからも、野球界には「遊び(野球)で飯を食うのはけしからん」という通念があり、著名なアマ選手は、企業に就職し、社会人野球選手になることが多かった。

 都市対抗野球は企業チーム単位で予選を戦うが、大会にはチームは都市名を名乗って出場する。また同地区の他のチームから「補強選手」を戦力として加えることができる。

険悪化したプロ野球と社会人野球の関係

 戦後、高度経済復興を迎えると、多くの企業が野球チームを持つようになり、都市対抗野球は高校野球、プロ野球と並ぶ大規模な野球大会となり、人気を博するようになった。

 しかし1950年にプロ野球がセ・パ2リーグに分立するとプロ球団は、社会人野球の有力選手を大量に引き抜くようになる。この時期からプロとアマチュアの対立が激化した。

 1961年には、日本生命の主力外野手の柳川福三を中日ドラゴンズが強引にスカウトし、当時の協定を破って入団させた。

 この一件以降、アマチュア球界は厳格な「プロアマ規定」を設け、プロ側がアマチュア選手に接触することが禁じられた。以後、社会人野球とプロ野球の関係は冷え込んだ。