信子さまが「三笠宮寛仁親王妃家」を創設する意味
そもそも「三笠宮寛仁親王」という皇族は存在していない。
「寛仁親王」は崇仁親王(三笠宮)の長男であり、生前はいずれ「三笠宮家」を継ぐことを考え、「寛仁親王家」という宮家を名乗っていた。
したがって、「三笠宮寛仁親王妃家」という名称は、「三笠宮家から出た寛仁親王妃の家」という、異例の構成である。
制度上、誰が命名を主導したのかは明らかにされていない。だが山下氏は、「宮家の序列上の位置づけ」を考慮したのではないかと見る。
「現在の序列は、秋篠宮家、常陸宮家、三笠宮家、高円宮家の順。三笠宮家とは関係なくまったく新しい宮家として位置づけると高円宮家より下になる。そこで“三笠宮”を冠すれば高円宮家より上位になる。そういう序列を維持するための措置と考えれば、“三笠宮”が付いていることも理解できます。序列がどうなるかは近いところでは園遊会での並び順によってはっきりします」(山下氏)
そして、もう一人の当事者である彬子さまは、三笠宮家の当主として正式に宮家の名称と、その祭祀を「継承」された。
もともと三笠宮ご夫妻(崇仁親王と百合子妃)、寛仁親王の祭祀は彬子さまが執り行っており、今回の決定でその立場が明文化された形だ。
「三笠宮家の継承は、物理的な邸宅ではなく、祭祀を継ぐことを意味します。これまで実質的に彬子女王殿下が担われてきた役割が、法律上も認められたということです」(山下氏)
信子さまが独立したことで、三笠宮家の祭祀は今後、正式に彬子さまが担われることになる。つまり、実質的にも法律的にも、彬子さまは「三笠宮家」を継ぐ存在となられたのである。
2025年4月6日、F1日本グランプリを観戦された彬子さま(写真:Formula 1 via.Getty Images/ゲッティ/共同通信イメージズ)
一方、信子さまは、三笠宮家の長子・寛仁親王の早世によって、「親王妃」という身位を保ちながら、三笠宮家に合流されていたが、今回の独立は、その地位を前例に合わせたと見ることができる。ただし、皇室経済法では、信子さまと彬子さまの処遇の差がはっきりと出てしまった。