一橋家奥向きの女中・大崎が見た「幕政の転換点」
『べらぼう』では一橋治済に暗殺の実行役を担わされて、最期はその治済に殺されることになった大崎。実際はどんな人物だったのか。
大崎の生没年や出自はよく分かっていないが、一橋家の奥向で仕えた後に、家斉の誕生時には御誕生御用掛という助産婦を務めたという。そのまま、家斉の乳母となったという説もある。
10代将軍の徳川家治が亡くなって家斉が正式に将軍に就くと、大崎は大奥における重職である御年寄(おとしより)となる。
治済は、田沼意次の政治を支えた御側御用取次の横田準松(よこた のりとし)を失脚させようとしたとき、大崎に相談。大崎は「非常に難しいことで、手の打ちようがない」と治済に返事をしている。治済が頼っている時点で、大崎が幕政にいかに影響力を持っていたかが分かる。
意次が失脚して定信が台頭してくると、2人は「表は松平定信・奥は大崎」と呼ばれるほど権勢を誇った。
だが、老中首座になった定信が大奥に挨拶に来たときに、状況が大きく変わる。大崎が「老中と御年寄は御同役」と発言すると、定信はこう激怒したという。
「老中に向かって同役とは何事だ」
両者は対立を深め、やがて倹約を推奨した定信が、大奥にも改革のメスを入れたことで、大崎は大奥を退くこととなった。
『べらぼう』では、そんな2人が再び手を組んだという設定になっている。失脚した者同士で生き残りをかけて、治済と対峙することになったが、治済の“ラスボス”ぶりが際立つ展開となった。
次回の「饅頭(まんじゅう)こわい」では、万事休すかと思われた蔦重が、思わぬ相手を巻き込んで、新たな仇討ち計画が立てられる。その相手とは、11代将軍の家斉である。
今回の放送では、家斉が子の早世が続き、頭痛もひどいため、家基の祟りを恐れながら「一橋ばかりが得をしているのはどこかおかしくないか」と疑念を示すシーンがあった。自分を将軍にするために父が重ねた悪行を知れば、いよいよ恐れおののいて、父を罰する側に回ってもおかしくはない。
史実において、徳川家斉が将軍を務めたのは約50年と歴代トップの在位期間を誇り、しかも、次男の家慶にその座を明け渡してからも、大御所として権勢を振るった。父の治済に実権を握られていたために、その死後に将軍の座に固執したとも考えられる。
父子の対決と言えば、戦国時代に甲斐の武田信玄が重臣たちに担がれて、父の信虎を追放したことがあった。あまりに強い父を、家斉は超えることができるのか。
まさか定信と蔦重が手を組み、治済に立ち向かうことになるとは想像しなかったが、最終回まで残すところあと2回となった。どんなクライマックスが待ち受けているのか、目が離せない展開だ。
【参考文献】
『平賀源内』(芳賀徹著、朝日選書)
『平賀源内』(新戸雅章著、平凡社新書)
『新版 蔦屋重三郎 江戸芸術の演出者』(松木寛著、講談社学術文庫)
『蔦屋重三郎』(鈴木俊幸著、平凡社新書)
『蔦屋重三郎 時代を変えた江戸の本屋』(鈴木俊幸監修、平凡社)
『宇下人言・修行録』(松平定信著、松平定光著、岩波文庫)
「蔦重の復活と晩年 その後の耕書堂」(山村竜也監修・文、『歴史人』ABCアーク 2025年2月号)